このマンガを読んだのはもう一年以上も前になるのですが、今までいろいろと悲しいマンガを読んできたけど、こんなにも読んで鬱になったマンガは初めてでした。
たまたまHUNTER×HUNTERの作者がこの漫画にハマってしまい作風に影響を与えた、などという話を聞いて興味を持ってアニメ版のHPでOPと予告編を観る⇒もの悲しげな雰囲気に惹かれる⇒マンガ版を読む(⇒アニメ版を観る)、という流れで見事にはまってしまいました。
どんなに感動した物語でも時間がたってしまうとその衝撃も薄らいでしまうもので、1年前に見た時は死ぬほど鬱な気分だったけど今では普通に読めてしまいます。そんな時間の無常さに少し寂しい気持ちを抱きつつ、インパクトが薄れていく前に感じたことを残しておこうとレビューを書いてみました。
「ストーリー」
「おおまかなお話」
二角奇人(ディクロニウス)は、人間の突然変異体………頭から生えた角を持ち、第6感とも言える特殊な能力と手を持っていた。人類を淘汰する可能性をも秘めた彼女らミュータントたちは、その危険な能力のため、国家施設に隔離、研究されていた。
しかし、偶発的事故により、ディクロニウスの少女ルーシーは拘束を破り、警備員らを殺戮、研究所を逃げ出す。が、その途中で記憶喪失となってしまう。過去と記憶を無くしたルーシーは、鎌倉・由比が浜に流れ着くが、その浜辺でコウタとユカに出会い、「にゅう」と名付けられ、コウタの住む楓荘に居候することになる……。
ちょっとエロや萌えが入ってたり、残酷な描写があったりと、決して万人受けするような作品ではないかもしれません。
しかしこの物語はハマる人にはとことんハマると言われているようで、いかにも萌えを狙ったような見かけとは裏腹に、登場人物が、親や友人など人から受け入れてもらうことを欲する愛おしさ、それが叶わない寂しさを描いた物語でもあり、自分がハマってしまったのもこの寂しさというテーマに感じ入ってしまった部分がかなり大きいです。
物語は、ラブコメ的な部分もあるものの基本的には悲劇路線の悲しいお話なのですが、自分の場合泣くような悲しさというよりはひたすら欝になるような悲しさでした。マンガ版とアニメ版とではクライマックスが異なっていて、アニメ版では懐古的な心情を引きずり出す演出が凄いのですが、ストーリーに関しては、マンガ版でのヒロインの人恋しさ、寂しさが痛々しいほど伝わってくるクライマックスは本当に衝撃です。
人寂しさにどこか感じ入るところがある人には是非ともお勧めしたいと思います。
アニメ版 (⇒
アニメ公式HP予告編)
自分の場合、先に漫画を読んでストーリーを知ってしまったこともあって、アニメ版は漫画版ほど物語からのインパクトは受けなかったのですが、アニメ版のBGMや舞台などから醸し出される全体的な雰囲気はどこか奥深さがあってとても良かったです。
まずマンガを読んでみようと思うきっかけとなったOPですが、
アニメ公式HPの予告編、OPを観ていなかったらきっとマンガの方も見ていなかったくらい、OPの重々しい雰囲気や、OP以外でも本作でたびたび出てくるLiliumという物悲しい曲に惹かれてしまいました。
(オープニング)
その悲しげなLiliumが安らかに転調したメロディにあわせて、幼少時代の思い出が次々と流れていくクライマックスの演出には本当に泣かされます。
この最終回のフルで流れるLiliumは1st Noteの初回限定版のサウンドトラックCDにも入っていないのですが、原曲のアーティスト「MOKA」によるアレンジ曲の入ったCDが出ていて、アニメ版とはやや違っていて少し幻想的な雰囲気が加わっていますが名曲だと思いますので、気に入った方は聴いてみてはいかがでしょうか。
あとノスタルジックに強く惹かれてしまう自分としては、アニメ版の舞台背景の懐古的な雰囲気がとても好きです。
監督がロケハンにこだわる人らしく、特に鎌倉には強い思い入れがあるようで、物語の日常の舞台となる元料亭である楓荘、鎌倉の街や自然では実在の場所が所々丁寧に描かれていて、歴史ある場所だけあって登場人物達の暮らしの生活感や、幼少時代のシーンなどもオルゴールのLiliumも絡めて醸し出される雰囲気がどこか懐かしく、舞台自体にも思い入れを持てます。このアニメを観た人は鎌倉を訪れることが多いようで、自分もたぶんマンガ版を読んだだけなら鎌倉に行ってみたいとは思わなかったかもしれません。
アニメ公式HPで予告編が観られるので、興味を持った人は是非覗いてみては。
マンガ版
ネットが普及したこういうご時世ということもあって、本作の入り口としてはマンガよりもアニメから入った人の方が多ようで、アニメ版は観てもマンガ版は見ていない人がかなり多いようなのですが(最近は本屋にもおいていないので)、アニメ版を観た人でも特にそのストーリーに惹かれた人には、物語の上ではアニメ版以上であると思うマンガ版の方も強くイチオシしておきたいと思います。
そのマンガ版なのですが、特に最初のうちは絵が下手で初期の画力の無さでだいぶ損をしているマンガに思います。1巻をちょっと見て読む気が失せてしまう人(特にアニメ版を先に見てしまった人)もきっと多いとは思いますが絵の方は徐々に上手くなっていくので、とりあえず話が進む4巻、できれば前半の佳境となる7巻まで辛抱して読んでみることをお勧めします。
ストーリーは、マンガ版の7巻前半まではほとんどアニメ版と同じなのですが、アニメ版は時間的な制約のために演出的な力技で物語的には強引にクライマックスに持っていった感があるのですが、マンガ版ではアニメ版で物語の中心となったルーシーとコウタの関係がより深い形で結末が与えられていて、アニメ版ではあまり描かれることのなかった他の登場人物にもその後の物語があってそれぞれが抱えている寂しさにも結末が描かれていています。
そして元々この作品は重要と思われた人物があっさり殺されたりと、先の読みにくいという評判もあるのですが、マンガ版で描かれる登場人物はアニメ版以上に追い詰められ、物語の結末は、最後は少しでも救われるのか、本当に救いのない終わり方になってしまうのか、ギリギリのところで話が進んでいく際どい緊張感があります。
そしてクライマックスはアニメ版以上に、本当に悲しい最期です。マンガなのにとても映像的で、胸が締め付けられるくらいルーシーの悲しい寂しさが伝わってくる、悲しくてとても綺麗なタイトルの所以ともいえるシーンです。
欝になるほどこの物語で心動かされてしまうのは、人から拒絶されて嫌われて一人ぼっちになって、どんなに人を憎むことになっても、それでも人から受け入れられることを願わずにはいられなかった人の持つ悲しい性、たとえ自分を受け入れてもらえなくても相手に向けられる無償の想いに、強く心を打たれてしまうからなのでしょう。
このマンガの作者、シナリオの細かい所ではいろいろツッコミ所はあっても、終盤の物語構成と演出力は本当に凄いと思います。今年の秋から次回作としてヤングジャンプでスポーツ物の新連載が始まるらしいので(⇒
作者HP)、ぜひ期待したいところです。
ここからはマンガ版の内容的により突っ込んだ個人的な感想を。
ネタばれを含むのでまだ読んでいない人は見ないことをお勧めしておきます。
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感想と考察
「憎しみと愛おしさの表現」
このマンガは、自分の居場所を失ってしまい、心に寂しさを抱え、人に受け入れられることを願う登場人物を描いた物語とも言えます。そうした登場人物の切なさを描く際に、「相手に受け入れられることを強く願う」⇒「拒絶される」⇒「拒絶した相手を憎む」⇒「それでも憎みきれずに愛してしまう」という流れが主要な登場人物によく見られるように思います。
まず本作屈指の人気キャラといわれるナナですが、その人気はナナにとっての父親である蔵間に対する健気さに拠るところが大きいでしょう。
アニメ版では蔵間を慕ってはいたものの、最終的には蔵間と死に別れ、楓荘にコウタ達の家族としての居場所を得るという終わり方だったのですが、マンガ版ではナナの最後の心の拠り所はあくまで蔵間であって、気が違ってしまった蔵間を救い、再び娘として受け入れられることを結末として迎えています。
一度は楓荘に自分の居場所を得たナナですが、ディクロニウスであることから楓荘にもいることができなくなり、最後の心の拠り所だった蔵間にまで捨てられた時、これまで一途に慕い続けてきた蔵間に初めて殺意を見せる場面があります。
結局は殺すことができずに精神的にボロボロになりながら、マリコの死体を抱える蔵間を連れて山奥に引き篭もるのですが、
ここでのナナの健気さは、単純に一方的に慕うのではなく、慕うのと同時に自分も受け入れられたいと強く思う気持ちがある故に、それが受け入れられなかった時に起こる憎しみがあるからこそ、相手に対する想いがリアルに感じられて、憎く思っても好きであることをやめることができないからこそ一途さを強く感じてしまうのでしょう。
それがこの後、ナナが自分が受け入れられることを捨て、蔵間の幸せを願う場面での感動に効いてくるのだと思います。
蔵間に対するマリコの場合、
ディクロニウスとして生まれてきたために自分を捨てた父親である蔵間を憎みつつも、心の奥では自分を娘として受け入れてくれることを願っていたのに、再会した蔵間はナナを娘代わりにかわいがっていて、自分は受け娘として受け入れられないどころか殺そうとされます(アニメ版では銃口を向けられただけだったのがマンガ版では実際に発砲されてしまうのもマンガ版の際どいところです)。
蔵間が背負う他人の娘を殺してきた責任などの事情がきちんと描かれているのもあざといのですが、かすかに抱いていた自分を受け入れてもらいたいという願いが、自分に向けての発砲という形で完全に裏切られたときの憎しみはアニメ版以上に強烈に描かれています。

ですが結局は蔵間を傷つけることはできず、最期は蔵間を守るために自らの命を犠牲にします。やはりここでも、想っている相手から受け入れられないことによる憎しみの強さと、それでも相手を傷つけることができない切なさから愛情を表現させるという型が活かされているように思います。
相手を傷付けてしまったという点では異なりますが幼少時代のルーシーにも似たような展開が見られます。
初めて好きになったコウタに裏切られたと感じた時に、幼少のルーシーはコウタの家族を殺すという行動をとってしまいます。
遺伝子の声という要素が絡むので憎しみからかどうかは微妙なところですが、相手を想うが故の相手から受け入れられないとわかった時の苦しさから、その相手を苦しめる行動を実際にとってしまった、という点では、上記のナナやマリコとは対照的かもしれません。でも、コウタが好きなのにその気持ち故に逆にコウタにつらい思いをさせてしまったことで、ルーシーがこんなはずじゃなかったのにと涙を見せる、コウタへの愛憎入り混じった切ない想いが伝わるシーンでは、上記の例と同じように憎しみとその裏側の想いの対比が効果的に活かされているように思います。
こうした作者の、想いを寄せる相手への切なさと憎しみの入り混じった感情を描く演出と、そうした状況に登場人物を追い込むシナリオは非常にあざとく、それが作者の大きな強みになっているのではないかと思います。
「コウタとルーシー」
このエルフェンリートで一番悲しかったのはやっぱりクライマックスでの主役となるコウタとルーシーの物語でした。
家族を殺したルーシーをアニメ版ではあっさりと受け入れてくれたコウタですが、マンガ版では決して赦してはくれません。
コウタが途中、一緒に暮らすことを許したのも、ルーシーを受け入れているのではなく、あくまで別人格のにゅうを慮ってのことでしょうし、蔵間に発砲された時にルーシーを身を挺して庇ったのも、過去に妹に対して負った後悔からという部分が大きいように思います。楓荘の住人とも繋がりが無く、唯一の心の居場所であったコウタにまで受け入れてもらえないルーシーは、最期のギリギリの場面まで、本当に一人ぼっちです。
アニメ版では好きだったコウタに受け入れてもらうことがルーシーにとっての救いとして描かれていますが、
マンガ版の方でのルーシーは、
その気持ちはもちろん具体的にはコウタに向けられたものですが、"それでも一人じゃさびしいんだ"と叫んだように、自分を誰か受け入れて欲しい、という一人ぼっちの寂しさから救いを求める剥き出しの心の方が強く描かれていたように思えました。
そしてルーシーは自分の命と引き換えにコウタを救うときにタイトルと同名の「Elfen Lied」を歌うのですが、その場面で投げかけられるルーシーの姿からは、ずっと今まで一人ぼっちで生きてきた人恋しさ、寂しさを強く感じてしまいます。そしてこの、ルーシーの一人ぼっちの寂しさと、美しかった容姿をドロドロに溶かすという残酷さ、空に飛び交うミサイルとElfenLiedの歌という情景的な美しさ、のそれぞれが不思議なほどマッチしたシーンは奇跡的とも言えます。

この場面に自分が心打たれてしまうのは、先にも書きましたが、どんなに人から虐められ拒絶され、人とは一緒に生きてはいくことはできないという遺伝子の声をもってしても、自分を受け入れてくれる人を求め、人と生きていたいと望んでしまうルーシーに、切ない愛おしさを感じてしまうからだと思います。
その後、最後のギリギリのところでコウタもようやく受け入れてくれ、8年後に人間として生まれ変わったルーシー(とにゅう)がユカと家庭を持ったコウタと再会したところで物語は終わりますが、ルーシーが抱いていたコウタに対する恋愛としての想いは結局叶わなかったことになり、ちょっと切なさの残る結末でもあります。
ですが、一度は自分がいくら人恋しくても人からは決して受け入れられないと感じ、寂しさから人を殺す道を選んだルーシーが、自分の命を顧みず、人から受け入れられたいという望みからさえ離れたところで、同じ寂しさから人を救うことを選んだ時に、彼女の心は救われたということなのかもしれません。
ひょっとすると作者は、ルーシーの持つ一人ぼっちの寂しさから救われたいという願いを主眼においていたのかな、などと勘ぐっております。
1年以上も前に読んだマンガだったので、今読んでも当時感じた印象がどのようなものだったかを完全には思い出せず、他の登場人物にもいろいろ言及したい所があっても、それを言語化する余力が無かったのですが、その代わり印象が時間を置いて整理された分、少しは冷静なレビューを書けたかもしれません。
でも感性に免疫ができてしまった分、この種類の衝撃を同じくらい鮮明には味わうことはもうないのかなと思うと少し寂しくもあります。就職活動の真っ最中に読んで死ぬほど鬱になって、読まなけりゃよかったと後悔したのが遠い昔のようです。沈んでいた当時を思い出すと、もうこんな鬱な気分に陥りたくないと思う反面、心地よい鬱を味わせてくれるマンガをまた読んでみたいなと思う今日この頃です。
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Posted on 2007/07/09 Mon. 23:59 [edit]
category: 映画・漫画
thread: マンガ - janre: アニメ・コミック
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