Orfeon Blog
読んだ本の要約、感想など。 他にも日々思ったことをつれづれと書き連ねます。
インド旅行記1
もう1年半近く前になるが、卒業旅行で行ったインド旅行について忘れないうちに書いてみることにする。
そもそもインドに行くと決まったいきさつであるが、特になんという理由も無く、社会人になったらなかなか行けなさそうなところで思い浮かんだのがたまたまインドであっただけだった。あとはその時ちょうど読んだ沢木耕太郎の深夜特急で描かれていたバックパッカーの姿に漠然とした憧れを持っており、(なぜか)バックパッカーといえばインドというイメージがあったのも理由である。
旅行は最初は英語が堪能な研究室の留学生と一緒に行くつもりだったが、諸々の事情により彼は行くことができなくなり、急遽1人で行くことになった。これまでの海外旅行経験といえばその3年前に友人とスリランカに行ったことくらいで、しかもその友人が英語が堪能だったこともあり、移動から宿探しまでほとんどの旅のやりくりは彼にまかせっぱなしだったという体たらくである。そんな自分が単身インドなどに行ってちゃんと帰ってこられるのかかなり不安であった(あとになってインドは英語も通じるし生活費も安いことからバックパック旅行の初心者向けには格好の国だということを何人かの旅先であったバックパッカー達に聞かされる)。 しかし結局、今行かないと気ままな旅行としてインドに行く事はおそらくもう無いだろうと、半場勢いで行き帰りの飛行機チケットと初日の宿の予約を申し込んで1週間後に出発の日を迎えた。
・デリーに到着
出発当日は正午くらいに成田を発ち、北京を経由してデリーに向かう。天気の乱れなどから到着が遅れ、デリーの空港についたのは現地時刻でAM2時を回っていた。とりあえず空港を出た所にあるプリペイドタクシーのカウンターに行ってみる。もうAM2時を回っているというのにたくさんのタクシーがところ狭しと並んでおり、客引きの運転手が押し寄せてくる。人が多い国だとは聞いていたがまったくその通りだというのがインドの初印象であった。熱心な客引きに腰が引ける半面、明らかに空港に到着する人よりもタクシーの数の方が多く、仲間とずっとおしゃべりに興じて特に働く気も無いように見える運転手もたくさんいた。
カウンターに行って受付の人に、拙い英語とジェスチャーと地図を駆使して自分の宿泊先まで行ってくれるよう頼むが、なかなか理解してもらえない。ふと横を見ると隣の受付に旅熟れてそうな日本人がやってきて、なにやら値段のことで受付と激しく言い争いを始めたがやがて受付の方が折れ、言い値でチケットを手に入れた旅人はお釣りを見て札が汚いから綺麗な札をよこせと受付に交換させた後、サッサとタクシーに乗り込んで去っていった。あっという間の出来事である。インドではかくもタフネゴシエーターでなければ生きていけないのかと大いに不安になったが、とりあえず今日の宿に行き着くためにとにかく受付に説明を繰り返す。しばらくして何とか相手が納得した素振りを見せ、何かの番号を書いた紙を渡されてその番号のナンバーのタクシーに行くように言われ、お金を渡してその場に行きタクシーに乗り込んだ。
・強かなタクシーのおっちゃん
空港から高速道路に出るがいきなり渋滞に見舞われる。こんな時間なのに混んでいるのも凄いが、運転手達が平気でクラクションを鳴らしまくるのにも驚いた。これだけ混んでいるとクラクションを鳴らす意味もないと思うのだが、自分の乗ったタクシーの運転手を見ていると、道を空けさせるためというよりはノリでクラクションを鳴らしているようにも見えた。混雑していながらも狭い合間を縫って車は進む。車間距離はほとんど数cmくらいしかない。中国の車の運転手の技術も凄いと聞いたがインドもかなりのものである。
タクシーの運転手であるがなかなか気さくな人で拙い英語ながらもしばらく会話。運転手にどこに行くのか?と聞かれてコルコタに向かうつもりだ、と答えた。すると、旅行エージェントを紹介してやろう、と勝手に旅行代理店の手前で止まって、その店の人を叩き起こして、とりあえず話を聞いてみろと半ば強引に連れ込まれた。とにかく今は疲れてるから明日にすると断るものの、いろいろ理由をつけて今じゃないとまずいんだと言う。売り上げの何割かがタクシーの運転手にキックバックされるからだろう。とにかく、いきり立つ運転手と叩き起こされたエージェントのやる気の無さの対比が面白かった。叩き起こされた店の人には悪いがとにかく断り続けると運転手もしぶしぶあきらめ、車に再び乗り込んで発車する。しばらくして運転手が着いたというが宿の名前が違う。運転手にそう言うと、こっちの方が安いんだ。俺の知り合いが経営してるから安心だぜ、という。もう宿の予約はとってあるから早くそっちに行ってくれと伝えると、またしぶしぶ車を発車する。運転手は何事もなかったかのように陽気に話しかけてくるが、しばらくすると他に安くていい宿を知ってると、勝手に知らない宿に行こうとして、そのたびに早く自分の宿に行ってくれと伝える、の繰り返しであった。ここまでくるとなかなかいい根性してるおっちゃんだなと感心さえしてしまった。
空港を出発してから30分くらい走ってようやく着いたといわれて外を見ると駅がある。どうやらデリー駅のようだが自分の泊まる予定の宿はここからまだ3kmくらいある。運転手に伝えると自分はデリー駅までしか行かない約束だと言い出す。自分は支払いの時にたしかにここに行くようにと伝えた,と言うと,自分の渡されたバウチャーはデリーまでと書いてあると言うので見てみると確かにデリー駅までと英語で書いてある。どうやら空港のタクシー受付は、自分の話が通じたからチケットを渡したのではなく、めんどくさくなったから話からなんとなく宿に近そうなデリー駅のチケットを渡したようである。
とにかくこんな時間にこんなところで降ろされても困るから早く行ってくれと運転手に伝えると、運転手は行くには150ルピー必要だと言い出す。空港からデリーまでの距離が10km以上あるのに対して、駅前から予約を入れた宿までは3kmくらいしかない。いくらなんでも取り過ぎだろうと言っても聞かない。昼間なら歩いて行くところだが、あたりはスラムのような雰囲気で歩くのは躊躇われた。今思うと信じられないが、その時は長いフライトの疲れでヘトヘトで、まだ現地通貨感覚が無かったこともあって150ルピーでいいからとにかく早く宿に行ってくれと頼んでしまう。笑顔で再び車を走らせる運転手。しかししばらく走っても一向につく気配がない。どうやらこの運転手も迷ってしまったようだ。夜遅くで客がいないというのにたむろするリクシャーに道を聞きながら道を回ること30分、ようやく宿に着く。約束なのでしぶしぶ運転手に150ルピーを払おうとしたが50ルピー札が無かったので200ルピーを出すと、運転手はお釣りの50ルピーを返す気配がさらさら無い。お釣りを出せといっても、自分は50ルピーを持っていないと言い張る。タクシーの運転手がお釣りを持っていないはずがないが、とにかくもう疲れ果てていたのでチップだからなと吐き捨てると、運転手は笑顔でサンキューと言い残して走り去っていった。
以後、これを教訓として小銭はなるべく多く持つように心がけ、お釣りが無い場合はリクシャーやタクシーに乗る前は必ず運転手にお釣りの有無を確認するようにした。もっとも、当初お釣りを持っているといってた運転手が、支払い時にやっぱり無かったと言い張るのはよくあることであり、この国で無駄なお金を払わないためにはつまるところ、どれだけ細かいことでも強気にこちらの主張を押し続け、根負けしないか、ということに尽きるということを今回の旅を通じて学んでいくことになる。
・ようやく宿に到着
何とか宿に辿り着いたとホッとするのもつかの間。ロビーにチェックインをしようとすると自分の部屋は無いと言われる。部屋は全て埋まっているとのこと。自分は確かに日本から予約したと言うと、どうやら、到着が遅かったので無断キャンセルだと思って客を入れてしまったらしい。チェーン系列の他の宿に連れていってもらってなんとか床に就けることに。今思えば、無理に到着日の夜に街まで出て宿に泊まらずとも、空港で一夜過ごして夜が明けてから街に出たほうがよかったのかもしれない。すでに現地時間でAM4時近くになり外も薄明くなり始めていた。ベットに横になりながら、こんなところであと12日間もやっていけるのかと不安に思ったりもしたが、疲れからすぐに眠りについた。
寝たのは4時過ぎだというのに8時には目が覚めた。外は当然すでに明るくなっていて、寝るまでの不安が嘘のように晴れた。やはり疲れは気分を落ち込ませるものなのだろう。朝食を食べてからチェックアウトして、さっそく外に出ようとすると、宿のマスターが、まだ鉄道の予約をしていないのなら旅行代理店に連れていってやるという。昨日のこともあって疑心暗鬼だったが、一応このホテルが日本の旅行会社から予約できるホテルであったため露骨な詐欺はないだろうと思ったことと、一眠りして気分も明るくなったこともあって、話だけでも聞いてみることにした。
・旅程の確定
外に出てみると昨日の夜はスラムのように見えた街には人がとにかく沢山いて活気に満ちていた。道には人だけでなく牛もいる。ヒンディー教では牛を神聖な動物としているため、食用にもできずに役に立たない牡牛は殺すこともできないため牛野良牛となって町をうろついているようだ。旅行代理店に向かうために宿の親父がリクシャー(自転車型の個人タクシー)を拾って指示をする。このリクシャーに乗っていけば旅行代理店に着くとのこと。自分に対しては常にやわらかい物腰だった宿の親父が、なぜかリクシャーに対しては、ヒンドゥー語のため言葉はわからないのであるがやけに高圧的な態度に見えたの印象的だった。
旅行代理店につくと、クーラーの効いた部屋には主に欧米系と見られる年配の客が沢山いた。何やらTシャツにリュック一つの自分が場違いに思えた。順番を待ってエージェントと話をしてみると、自分はすぐにコルコタに向かうつもりだったのだが、どうやらデリー発コルカタ行きの特急はすでに予約が埋まってしまったらしい。エージェントが勧めるには、デリーから近辺の観光スポットを観て周ってからコルカタに向かい、コルカタからデリーの特急で帰るならチケットが取れるとのことだった。自分が考えていたコースと逆になってしまうが、あらかじめ日本からインドの鉄道について調べたところ特急鉄道はチケットが常に品薄とあったので、チケットが無いというのは嘘ではないのだろうと思った。エージェントはこちらの要望を聞いてスケジュール全日程の鉄道と宿の予約、個人車付きガイドを含めたツアーを提案してきたが、これはかなりの高額であった。宿などは日本とさほど変わらない値段のホテルで大幅に予算をオーバーしてしまう。とりあえず絶対に必要な鉄道のチケットとデリー近辺を効率的に回るために近場のジャイプル、アーグラは車付きガイドを頼むことにし、それ以外はすべてプランから省いてなんとか予算内に収めてパッケージで購入することにした。もともとバックパッカー的旅行に憧れてきた面もあり、日本からは鉄道、初日以外の宿の予約を一切取らなかった自分にとって、パッケージを利用することには幾分抵抗もあったのだが、初心者であることの不安と、なにぶん2週間という期間はインドを見て回るには少なく、効率的に見て回りたいという思いが勝ってしまうのだった。
鉄道の予約も取ったことから今回の旅行スケジュールも大枠は決まった。
デリー → ジャイプル → アーグラー → バナーラシー
→ ブッダガヤ → コルコタ → デリー → 帰国
こうして個人ガイドの運転する車に乗って早速次の目的地ジャイプルを目指すのであった。
インド旅行記2につづく…
***おまけ 旅行エージェントとのやりとり(半分ネタですが)***
私: あまり予算がないんだけど大丈夫?
エージェント(以下エ): 大丈夫。予算に合わせてスケジュールを組むからね。
私: 2週間弱しかないから観光スポットを効率的に見て回りたいんだけど。
エ: そうすると行く都市を絞り込まないとね。とりあえず行ってみたい都市をざっと挙げてみてよ。
私: アーグラー、バナーラシー、コルコタ、それに…ブッダガヤーかな。
エ: ブッダガヤー!? そいつはいい! 俺にキスしてくれよ。
私: ははは、急に何を言い出すんだい?(こいつ何言ってんだ)
エ: 俺は仏教徒なんだよ。だからついうれしくてね。
私: いや~そうなんですか?仏教は日本でも馴染み深い宗教ですよ。
エ: そう、日本人は仏教徒が多いからついつい親しみを感じちゃうんだよ。
私: 別に俺は仏教徒じゃないんやけどね。
エ: ……
私: ……
エ: 料金だがまあ大体こんなもんだな ($500)
私: 高けえよ!
そもそもインドに行くと決まったいきさつであるが、特になんという理由も無く、社会人になったらなかなか行けなさそうなところで思い浮かんだのがたまたまインドであっただけだった。あとはその時ちょうど読んだ沢木耕太郎の深夜特急で描かれていたバックパッカーの姿に漠然とした憧れを持っており、(なぜか)バックパッカーといえばインドというイメージがあったのも理由である。
旅行は最初は英語が堪能な研究室の留学生と一緒に行くつもりだったが、諸々の事情により彼は行くことができなくなり、急遽1人で行くことになった。これまでの海外旅行経験といえばその3年前に友人とスリランカに行ったことくらいで、しかもその友人が英語が堪能だったこともあり、移動から宿探しまでほとんどの旅のやりくりは彼にまかせっぱなしだったという体たらくである。そんな自分が単身インドなどに行ってちゃんと帰ってこられるのかかなり不安であった(あとになってインドは英語も通じるし生活費も安いことからバックパック旅行の初心者向けには格好の国だということを何人かの旅先であったバックパッカー達に聞かされる)。 しかし結局、今行かないと気ままな旅行としてインドに行く事はおそらくもう無いだろうと、半場勢いで行き帰りの飛行機チケットと初日の宿の予約を申し込んで1週間後に出発の日を迎えた。
・デリーに到着
出発当日は正午くらいに成田を発ち、北京を経由してデリーに向かう。天気の乱れなどから到着が遅れ、デリーの空港についたのは現地時刻でAM2時を回っていた。とりあえず空港を出た所にあるプリペイドタクシーのカウンターに行ってみる。もうAM2時を回っているというのにたくさんのタクシーがところ狭しと並んでおり、客引きの運転手が押し寄せてくる。人が多い国だとは聞いていたがまったくその通りだというのがインドの初印象であった。熱心な客引きに腰が引ける半面、明らかに空港に到着する人よりもタクシーの数の方が多く、仲間とずっとおしゃべりに興じて特に働く気も無いように見える運転手もたくさんいた。
カウンターに行って受付の人に、拙い英語とジェスチャーと地図を駆使して自分の宿泊先まで行ってくれるよう頼むが、なかなか理解してもらえない。ふと横を見ると隣の受付に旅熟れてそうな日本人がやってきて、なにやら値段のことで受付と激しく言い争いを始めたがやがて受付の方が折れ、言い値でチケットを手に入れた旅人はお釣りを見て札が汚いから綺麗な札をよこせと受付に交換させた後、サッサとタクシーに乗り込んで去っていった。あっという間の出来事である。インドではかくもタフネゴシエーターでなければ生きていけないのかと大いに不安になったが、とりあえず今日の宿に行き着くためにとにかく受付に説明を繰り返す。しばらくして何とか相手が納得した素振りを見せ、何かの番号を書いた紙を渡されてその番号のナンバーのタクシーに行くように言われ、お金を渡してその場に行きタクシーに乗り込んだ。
・強かなタクシーのおっちゃん
空港から高速道路に出るがいきなり渋滞に見舞われる。こんな時間なのに混んでいるのも凄いが、運転手達が平気でクラクションを鳴らしまくるのにも驚いた。これだけ混んでいるとクラクションを鳴らす意味もないと思うのだが、自分の乗ったタクシーの運転手を見ていると、道を空けさせるためというよりはノリでクラクションを鳴らしているようにも見えた。混雑していながらも狭い合間を縫って車は進む。車間距離はほとんど数cmくらいしかない。中国の車の運転手の技術も凄いと聞いたがインドもかなりのものである。
タクシーの運転手であるがなかなか気さくな人で拙い英語ながらもしばらく会話。運転手にどこに行くのか?と聞かれてコルコタに向かうつもりだ、と答えた。すると、旅行エージェントを紹介してやろう、と勝手に旅行代理店の手前で止まって、その店の人を叩き起こして、とりあえず話を聞いてみろと半ば強引に連れ込まれた。とにかく今は疲れてるから明日にすると断るものの、いろいろ理由をつけて今じゃないとまずいんだと言う。売り上げの何割かがタクシーの運転手にキックバックされるからだろう。とにかく、いきり立つ運転手と叩き起こされたエージェントのやる気の無さの対比が面白かった。叩き起こされた店の人には悪いがとにかく断り続けると運転手もしぶしぶあきらめ、車に再び乗り込んで発車する。しばらくして運転手が着いたというが宿の名前が違う。運転手にそう言うと、こっちの方が安いんだ。俺の知り合いが経営してるから安心だぜ、という。もう宿の予約はとってあるから早くそっちに行ってくれと伝えると、またしぶしぶ車を発車する。運転手は何事もなかったかのように陽気に話しかけてくるが、しばらくすると他に安くていい宿を知ってると、勝手に知らない宿に行こうとして、そのたびに早く自分の宿に行ってくれと伝える、の繰り返しであった。ここまでくるとなかなかいい根性してるおっちゃんだなと感心さえしてしまった。
空港を出発してから30分くらい走ってようやく着いたといわれて外を見ると駅がある。どうやらデリー駅のようだが自分の泊まる予定の宿はここからまだ3kmくらいある。運転手に伝えると自分はデリー駅までしか行かない約束だと言い出す。自分は支払いの時にたしかにここに行くようにと伝えた,と言うと,自分の渡されたバウチャーはデリーまでと書いてあると言うので見てみると確かにデリー駅までと英語で書いてある。どうやら空港のタクシー受付は、自分の話が通じたからチケットを渡したのではなく、めんどくさくなったから話からなんとなく宿に近そうなデリー駅のチケットを渡したようである。
とにかくこんな時間にこんなところで降ろされても困るから早く行ってくれと運転手に伝えると、運転手は行くには150ルピー必要だと言い出す。空港からデリーまでの距離が10km以上あるのに対して、駅前から予約を入れた宿までは3kmくらいしかない。いくらなんでも取り過ぎだろうと言っても聞かない。昼間なら歩いて行くところだが、あたりはスラムのような雰囲気で歩くのは躊躇われた。今思うと信じられないが、その時は長いフライトの疲れでヘトヘトで、まだ現地通貨感覚が無かったこともあって150ルピーでいいからとにかく早く宿に行ってくれと頼んでしまう。笑顔で再び車を走らせる運転手。しかししばらく走っても一向につく気配がない。どうやらこの運転手も迷ってしまったようだ。夜遅くで客がいないというのにたむろするリクシャーに道を聞きながら道を回ること30分、ようやく宿に着く。約束なのでしぶしぶ運転手に150ルピーを払おうとしたが50ルピー札が無かったので200ルピーを出すと、運転手はお釣りの50ルピーを返す気配がさらさら無い。お釣りを出せといっても、自分は50ルピーを持っていないと言い張る。タクシーの運転手がお釣りを持っていないはずがないが、とにかくもう疲れ果てていたのでチップだからなと吐き捨てると、運転手は笑顔でサンキューと言い残して走り去っていった。
以後、これを教訓として小銭はなるべく多く持つように心がけ、お釣りが無い場合はリクシャーやタクシーに乗る前は必ず運転手にお釣りの有無を確認するようにした。もっとも、当初お釣りを持っているといってた運転手が、支払い時にやっぱり無かったと言い張るのはよくあることであり、この国で無駄なお金を払わないためにはつまるところ、どれだけ細かいことでも強気にこちらの主張を押し続け、根負けしないか、ということに尽きるということを今回の旅を通じて学んでいくことになる。
・ようやく宿に到着
何とか宿に辿り着いたとホッとするのもつかの間。ロビーにチェックインをしようとすると自分の部屋は無いと言われる。部屋は全て埋まっているとのこと。自分は確かに日本から予約したと言うと、どうやら、到着が遅かったので無断キャンセルだと思って客を入れてしまったらしい。チェーン系列の他の宿に連れていってもらってなんとか床に就けることに。今思えば、無理に到着日の夜に街まで出て宿に泊まらずとも、空港で一夜過ごして夜が明けてから街に出たほうがよかったのかもしれない。すでに現地時間でAM4時近くになり外も薄明くなり始めていた。ベットに横になりながら、こんなところであと12日間もやっていけるのかと不安に思ったりもしたが、疲れからすぐに眠りについた。
寝たのは4時過ぎだというのに8時には目が覚めた。外は当然すでに明るくなっていて、寝るまでの不安が嘘のように晴れた。やはり疲れは気分を落ち込ませるものなのだろう。朝食を食べてからチェックアウトして、さっそく外に出ようとすると、宿のマスターが、まだ鉄道の予約をしていないのなら旅行代理店に連れていってやるという。昨日のこともあって疑心暗鬼だったが、一応このホテルが日本の旅行会社から予約できるホテルであったため露骨な詐欺はないだろうと思ったことと、一眠りして気分も明るくなったこともあって、話だけでも聞いてみることにした。
・旅程の確定
外に出てみると昨日の夜はスラムのように見えた街には人がとにかく沢山いて活気に満ちていた。道には人だけでなく牛もいる。ヒンディー教では牛を神聖な動物としているため、食用にもできずに役に立たない牡牛は殺すこともできないため牛野良牛となって町をうろついているようだ。旅行代理店に向かうために宿の親父がリクシャー(自転車型の個人タクシー)を拾って指示をする。このリクシャーに乗っていけば旅行代理店に着くとのこと。自分に対しては常にやわらかい物腰だった宿の親父が、なぜかリクシャーに対しては、ヒンドゥー語のため言葉はわからないのであるがやけに高圧的な態度に見えたの印象的だった。
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旅行代理店につくと、クーラーの効いた部屋には主に欧米系と見られる年配の客が沢山いた。何やらTシャツにリュック一つの自分が場違いに思えた。順番を待ってエージェントと話をしてみると、自分はすぐにコルコタに向かうつもりだったのだが、どうやらデリー発コルカタ行きの特急はすでに予約が埋まってしまったらしい。エージェントが勧めるには、デリーから近辺の観光スポットを観て周ってからコルカタに向かい、コルカタからデリーの特急で帰るならチケットが取れるとのことだった。自分が考えていたコースと逆になってしまうが、あらかじめ日本からインドの鉄道について調べたところ特急鉄道はチケットが常に品薄とあったので、チケットが無いというのは嘘ではないのだろうと思った。エージェントはこちらの要望を聞いてスケジュール全日程の鉄道と宿の予約、個人車付きガイドを含めたツアーを提案してきたが、これはかなりの高額であった。宿などは日本とさほど変わらない値段のホテルで大幅に予算をオーバーしてしまう。とりあえず絶対に必要な鉄道のチケットとデリー近辺を効率的に回るために近場のジャイプル、アーグラは車付きガイドを頼むことにし、それ以外はすべてプランから省いてなんとか予算内に収めてパッケージで購入することにした。もともとバックパッカー的旅行に憧れてきた面もあり、日本からは鉄道、初日以外の宿の予約を一切取らなかった自分にとって、パッケージを利用することには幾分抵抗もあったのだが、初心者であることの不安と、なにぶん2週間という期間はインドを見て回るには少なく、効率的に見て回りたいという思いが勝ってしまうのだった。
鉄道の予約も取ったことから今回の旅行スケジュールも大枠は決まった。
デリー → ジャイプル → アーグラー → バナーラシー
→ ブッダガヤ → コルコタ → デリー → 帰国
こうして個人ガイドの運転する車に乗って早速次の目的地ジャイプルを目指すのであった。
インド旅行記2につづく…
***おまけ 旅行エージェントとのやりとり(半分ネタですが)***
私: あまり予算がないんだけど大丈夫?
エージェント(以下エ): 大丈夫。予算に合わせてスケジュールを組むからね。
私: 2週間弱しかないから観光スポットを効率的に見て回りたいんだけど。
エ: そうすると行く都市を絞り込まないとね。とりあえず行ってみたい都市をざっと挙げてみてよ。
私: アーグラー、バナーラシー、コルコタ、それに…ブッダガヤーかな。
エ: ブッダガヤー!? そいつはいい! 俺にキスしてくれよ。
私: ははは、急に何を言い出すんだい?(こいつ何言ってんだ)
エ: 俺は仏教徒なんだよ。だからついうれしくてね。
私: いや~そうなんですか?仏教は日本でも馴染み深い宗教ですよ。
エ: そう、日本人は仏教徒が多いからついつい親しみを感じちゃうんだよ。
私: 別に俺は仏教徒じゃないんやけどね。
エ: ……
私: ……
エ: 料金だがまあ大体こんなもんだな ($500)
私: 高けえよ!
06
長崎小旅行
友人の披露宴に出席するために博多に来たついでに、長崎にちょこっと一人観光に行ってきました。
(博多は以前旅行で来たことがあったので今回はパス)
昼前に博多から新幹線に乗って長崎に出発。100分くらいで長崎到着。
お腹がすいたということで早速食堂を探す。長崎ではちんちん電車が交通の重要な足になっているみたいです。このちょっとレトロな感じがとっても好き。電車内には外国からの観光客もちらほら。
とりあえず昼食は、やっぱり長崎ちゃんぽんを食べたいということで中華街に。祝日とあって人も多し。新幹線の中で旅行雑誌見ながら目星をつけてた店を探したけど、自分が行きたかった店は終っていたので、旅行雑誌で探して他の店へ。味の方は…意外とふつうのちゃんぽんだったかな?味に鈍感な私にはなかなか違いがわからないようで…。でも普通に美味しかったです。
食欲も満たしたところで、早速観光に回るために、再びちんちん電車に乗ってオランダ坂までやってくる。この近辺は当時の西欧風と和風が合わさった建物が多く、レトロというか、不思議な風情があります。
オランダ坂を抜けていった先にあった孔子廊にもせっかくなので立ち寄ってみました。中では何やら踊(?)の練習をしているようでした。展示物とかもあったけどこれからまだ観光するのであまり時間も無く、構内を一通り観た後はグラバー邸に向かう。
巨大なエスカレータを登ってグラバー園に。このエスカレーターは観光だけじゃなくて住民の足にもなっているみたい。途中で何人か地元のおばちゃんに声を掛けられたり。長崎は結構気さくな人が多いのかな?高台にあるグラバー園から臨む長崎市街の景色は快晴ということもあってとても綺麗。
グラバー園内にある建物内のレトロな雰囲気を堪能しつつ部屋の様子から当時の暮らしをイメージしたり。建物内に展示されている長崎の庶民の生活と比べてみても、やっぱりかなり優雅だったんだろうなあ。
そしていよいよグラバー邸。広いことを除けば内装はいままで観たグラバー園内の他の建物のものとあまり変わらなかったけど、そこからの眺めが素敵です。邸内には他に維新志士達との交流や、三菱とのつながりなどについての展示がありました。長崎に来て、やたら三菱製品が目に付くなあと思ったけど、よく考えたら三菱ゆかりの地でもあったんだなあ。グラバー邸からも三菱造船所が見えます。
グラバー邸の中でいろいろと展示があった中で一番印象に残った写真。グラバーは倒幕派に助力していたそうで(邸内には志士達をかくまうための隠し部屋等もありました)、写真はそのグラバーの手引きでイギリスに密航、留学させた5人の肖像画です(その内の2人は伊藤博文と井上馨)。小さいのでわかりづらいですが、本当にふてぶてしい面構えをしています。しかもギラギラしているというか下手なことを言うとすぐ喧嘩を売られそうな程の張り詰めた雰囲気が感じられて、それほどのエネルギーを持つ人が大勢いたからこそ維新は成されたのかもなあ、なんて思ったりも。
グラバー園では衣装貸し出しがあって、当時の衣装で園内を歩き回る女性も結構いました。
左画像は偶然見つけたグラバー園内のどこかにあるハートマークの詰石。これに触るといいことが起こるとか。グラバー園を一通り見終わった後は大浦天主堂を拝観して、みやげ店が並ぶ坂を下る。
またちんちん電車に乗って、今度は坂本龍馬ゆかりの地を散策することに。亀山社中があったり、長崎は龍馬ゆかりの土地でもあるそうでみやげ屋でも龍馬関連グッズが結構売られています。ちんちん電車とバスを乗り継いで風頭公園に行くとそこには夕暮れ空を見渡す龍馬の銅像が。
風頭公園の丘から見渡す夕焼け景色もなかなかのものでした。
公園からしばらく歩いていくと龍馬通りなるものがあり、往時は龍馬が考え事をしながらこの階段を下ったのだとか。
入り組んだ細い階段を下っていくと亀山社中の跡に着きます。残念ながら現在は私有地で入れないとのこと。もうちょっと早く来れば近くにある龍馬好きの有志ボランティアによる亀山社中資料館に入れたらしい、残念。
さらに道を下っていくと龍馬のブーツ像なるものがあります。なんでも龍馬は日本人で初めてブーツを履いた男なんだとか。資料館もそうですが有志の皆さんの熱意には頭が下がります。
日が暮れたので、街中からは離れたところにある宿に入る前に食事ということで出島ワーフで店探し。バイキングの良さそうな店があったけど、一人では入りにくそうな雰囲気だったので諦めて、定食屋でウニイクラ丼を食す。やっぱり海近くのお店の海鮮物は美味しいです。
食べた後は長崎駅に戻ってバスに乗って、稲佐山中腹にある稲佐山観光ホテルにチェックイン。平日前だったのと以前の宿泊ポイントが使えて思いの他安かったけど、景色もいいしなかなかいいホテル。チェックイン後、その日は沢山歩いてクタクタだったけど稲佐山のてっぺんに登ってみたくなって出発。これが誤算で、ホテルからすぐ近くだと思ってたのに道が回りこんでいて結局40分近く歩いてようやく頂上に着く。でも頂上から臨む夜景は絶景。
一夜明けたホテルからの長崎市街の眺め。右画像はホテルから見た稲佐山頂上。
ホテルをチェックアウトした後、午前中は平和公園に。平日とあって人は疎らでした。噴水から見える平和祈念像。噴水の傍にある戦争の悲惨さを生々しく伝える石碑を見ると悲しい気持ちになります。
正午前には長崎駅に戻ってバスにて雲仙に向けて出発。観光バスだったけど平日だからかほとんど他に人がいない模様。雲仙に向かう途中の休憩所での景色がちょっと綺麗。バスの沿線はのどかな町々が続いてついついウトウトと。
2時間程で雲仙に到着。人の気配が無く、なんだかとても寂れた感が漂っていました。平日に来たからかな?ともあれ早速、雲仙地獄を観て回りました。園内はいたるところで工事中だったのがちょっと残念。
雲仙地獄から20分ほど歩いたところにある小池地獄温泉館へ温泉に入りに。こちらは知れている場所なのか結構人が多かったです。
温泉はとてもいいお湯でした。温泉上がりには温泉卵も。雲仙にはいろいろ公衆温泉があるみたいですけど、雲仙に来た方は是非こちらにも足をのばしてみてはいかがでしょうか。
そんなこんなで昼過ぎには長崎空港に向かうバスに乗って夜には羽田に到着。披露宴で賑やかに過ごした仲間との時間から、風情に浸った一人旅と、あっという間の4日間だったけど密度の濃い時間を過ごせて満足。今度は海外かなあ。
(博多は以前旅行で来たことがあったので今回はパス)
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お腹がすいたということで早速食堂を探す。長崎ではちんちん電車が交通の重要な足になっているみたいです。このちょっとレトロな感じがとっても好き。電車内には外国からの観光客もちらほら。
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グラバー園では衣装貸し出しがあって、当時の衣装で園内を歩き回る女性も結構いました。
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食べた後は長崎駅に戻ってバスに乗って、稲佐山中腹にある稲佐山観光ホテルにチェックイン。平日前だったのと以前の宿泊ポイントが使えて思いの他安かったけど、景色もいいしなかなかいいホテル。チェックイン後、その日は沢山歩いてクタクタだったけど稲佐山のてっぺんに登ってみたくなって出発。これが誤算で、ホテルからすぐ近くだと思ってたのに道が回りこんでいて結局40分近く歩いてようやく頂上に着く。でも頂上から臨む夜景は絶景。
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そんなこんなで昼過ぎには長崎空港に向かうバスに乗って夜には羽田に到着。披露宴で賑やかに過ごした仲間との時間から、風情に浸った一人旅と、あっという間の4日間だったけど密度の濃い時間を過ごせて満足。今度は海外かなあ。
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