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読んだ本の要約、感想など。 他にも日々思ったことをつれづれと書き連ねます。

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愚か者の哲学 

愚か者の哲学愚か者の哲学
竹田 青嗣

主婦の友社 2004-08-25
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☆☆☆☆☆
難解なイメージで敬遠しがちな哲学ですが、よりよく生きるための知恵としての哲学を、著者の視点からかなりわかり易く説明されていてお勧めです。

要約
人の歩む人生を子供時代、若者時代、大人時代、の3つに大きく分け、人がそれぞれの時代でぶつかる悩みを取り上げ、なぜ人は苦悩するのかについて、これまで歴代の哲学者が考察してきた知恵をわかりやすく噛み砕いて説明しています。

【子供の哲学】
動物は本能のままに生きますが、人が動物と異なる点は、自我によって生きていることです。自我とは、感覚、感受性、美意識など世界を感じる能力であります。特に人の世界を感じる能力は、人が成長していく上で無意識に身についてゆくルールの束とも表現できます。このルールはまず親から与えられます。子供は好奇心からいたずらをしますが、親はこれを叱るのですが、いつか子供は好奇心や快楽よりも、親から褒められるというエロスを覚えるようになります。これによって自我の基本とも言うべき、人との関係性、他者から評価されることの快楽、自己愛に目覚めていきます。 この価値の自己ルールの束は、大きく、真偽、善悪、美醜についてのルールに分けることができます。 この自己ルールが他者や社会のそれとよく一致する場合は自我が安定していて、うまく人と折り合ってゆくことができます。健全な自我の標識は、
① 自分の真善美のルールを自立的にしっかり作り上げている
② 価値の自己ルールを固定的に考えず他者関係の中でそれを調整してゆくことができる
③ 自己ルールを社会的な能力として活かしていくことができる
の3つが挙げられます。特に①の形成は親子関係による影響が大きいため、ここで折り合いがつかない場合は、両親間でのルールが逆である、親のルールが社会のそれと違う、親のルールが自分の都合により与えられている、などの親子関係のねじれを原因として考えることができます。

【若者の哲学】
親の言うとおりの方法で大きくなっていった子供は、言葉のボキャブラリーがある程度増えると、親のルールから自由に思考するようになります。そして人から認められたいという自我が強烈に膨らむ時期である若者は、その自由から自分を正当化することにより、自分という存在のかけがえを実感することに思考のエネルギーを注ぐようになります。しかしこの自己意識の自由は内面だけの自由であり、現実には親や社会のルールに縛られ、挫折することになるのですが、ヘーゲルはこの挫折に反応する3つの類型を示唆していて、
① 誰からも認められなくても自分は自分である
② どんな人の見方や考え方だって相対的なもので絶対なんてありえない
③ 外から宗教や思想などの強力な世界観を自分の物語とする
といった自己意識の持ち方を挙げています。しかし人は社会で生きていく上では他人からの承認がなければ自然な自己価値を見い出すことはできず、結局大人になり、他者からの承認を得るためのゲームに参加することになります。他者からの承認としては、社会的な成功という尺度と、人間として尊敬されるという尺度の2つがあります。人は大人になるにつれ、必ずしも社会的に成功しなくとも人として承認されれば幸せになれることに気づいていきます。この人間として尊敬される人の中身として、最初に出た「真・善・美」の自己ルールが挙げられます。善悪は他者との関係におけるルールの基準として、美醜は人の感性として、真偽は絶対のルールの無い選択肢に対して自分が選んだことを肯定する感覚へのこだわりをそれぞれ表します。このルールを確立できない人は他者や社会の目が過剰に気になり、自分の判断に不安を覚えるようになります。また他者とのルール関係を経ずにできたも自己ルールは独善的なものに陥ります。このように自分というものは他者とのルールの交流を通じて作り上げていくものです。そして他者とのルールによって影響を受けて自己ルールを変容させるときに、人は生の意欲を欲望を充足させることができるのです。
「ほんとう」
人は限りある生の中で「ほんとう」(の人生)を追い求める生き物でもあります。ハイデカーは人は一度きりの人生でなにがほんとうであるかの配慮こそ、人間にとって本性的であり、挫折からニヒリズムに陥るときに人はその本質を捨て去るのだとしています。ヘーゲルは人がほんとうを追う流れを5つのステップで説明していて、まず自分にとって都合の良い自己ルールで自分の中だけで完結するほんとう、一人よがりのほんとうに挫折したときに生の快楽をただ享受することだけを目指すほんとう、男女が互いのロマンを射影しあうロマンのほんとう、正しい人間として生きることを目指すほんとう、そして最後にその人の人間性の表現(極端な例だと文学や芸術作品)を世に問うことから得られる承認、互いの自由を認め合いながらよいものを目指す承認ゲームの中で得られるほんとうを挙げています。人はほんとうというロマンや目標を失うと生きる意欲を失てしまいます。歳を取るにつれて失いがちなほんとうをうまく生き延びさせることが人間と社会にとって大切なことです。
「恋愛」
恋愛はそれだけで生きる意味を満たしてくれるという不思議なものです(そして自分にとってかけがえの無い人を得られる悦びは、その人を失うことの絶望と裏表一体でもあります)。この恋愛が特別なのは、社会的な役割から離れた自分自身を受け容れてもらえると感じられる幻想、そして社会や人の承認ゲームで得られる至高性は得るために大きな努力が必要で現実的に考えることが難しいのに対し、恋愛ではこの至高性(この恋人を得られれば生の意味そのものをつかめるという直感)を誰でも手に届きそうだと感じさせるところにあります。恋愛から得られるエロスには、人が持つ美しさとロマンの結晶化と、他人から無条件に承認されるという関係性からのエロスの2つからなります。つまり自分にとってもっとも美しく価値があると思う存在から無条件に自分が受け入れてもらえるという悦びです。このうち最初の美しいものに対するエロスは、その人が持つ美とロマンを結晶化したものを恋人に射影したものですが、しばしばそのロマンは現実に打ち砕かれることになります。しかし人はその本質からロマンを追い求める生き物でもありロマンを捨てることはできないのです。

以降、「大人の哲学」で失恋や絶望、ニヒリズムなどについて述べられているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

感想
本書を書く上で著者が参考にした哲学者にも生きることに対していろいろな考えを持った人はいると思いますが、著者のスタンスとしては、人間として生きる上で味わう楽しさつらさをすべて含めて生きることの醍醐味とし、人生を肯定するということでは一貫している人生賛歌の本であるように思いました。 人は自分の人生にロマンを抱きつつも挫折の中で大人の知恵としてロマンを現実に適応させて生きていきます。でも、ロマンをもてなくなってしまった大人は救いようの無いバカ、という著者の言葉がありますが、この理想と現実への適応とのバランスは、人が生きていく上で本当に難しい問題だと思います。 本書で述べられている、どんなに挫折を味わってもロマンを追い求めずにはいられない人間性、と、他者との関係の中から自分を作り上げそれに悦びを見い出す人間性、のお互いをカバーし合うことが、本書に込められたよりよく生きるための知恵なのかもしれません。
ちなみに自分が本書を読んだ当時はちょうど失恋中だったのですが、直接自分にとって救いになるような言葉はないものの、本書では(恋愛を含め)人生に強くロマンを抱かずにはおれない人間を肯定しており、ロマンが挫折にぶち当たっても究極的には人との関係性の中でしか人は喜びを得られないという示唆は、ちょっとずるいと思う反面、たとえ報われなくとも人に想われたいという気持ちは肯定されてもいいんだなという安心感を与えてくれたのを覚えています。
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Posted on 2007/09/23 Sun. 17:19 [edit]

category: 読んだ本

tag: 感想  要約  竹田青嗣  読書 
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