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読んだ本の要約、感想など。 他にも日々思ったことをつれづれと書き連ねます。
巨象も踊る
![]() | 巨象も踊る ルイス・V・ガースナー 山岡 洋一 高遠 裕子 日本経済新聞社 2002-12-02 売り上げランキング : 94059 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆★ |
IBMという巨大企業を立て直した経営者とはどのような人だったのだろうかと興味を持って読んでみたのですが、一番印象深かったのは彼が非常に競争精神旺盛な人物であることでしょうか。「我々が失った利益は全て競合が持っていってしまっている、それがいやなら彼らから奪うしかない」、といったような内容のメールを社員に流すエピソードもあったり、それが生半可なものではないことが伺えます。彼がIBMを立て直すために取った施策としては様々な戦略が挙げられますが、それを実行するための強力な意思が無ければ復活は為し得なかったと思います。競争精神でなくとも、常に徹底した実行の意思を持ち続けるための何かしらの気性を持つことは卓越した成果を挙げるための必要事項なのではないかと思います。
また彼が当初はコンピュータ関連の知識を持っていなかったにも関らず多大な成果を挙げ、今後のIT業界の見通しなどでも深い洞察が示されていたのは、業績を上げるための知見は必ずしも深い技術の知識だけによるものではなく、顧客や競合など、幅広い知見から得られるものであることを示しているのではないかと思いました。
「要約」
まずIBMのCEOになったいきさつについて。 ビジネススクールを卒業した後、マッキンゼーに勤め、経験を積む内に実際に行動を起こす立場に立ちたいと考えるようになり、当時最大の顧客であったアメリカンエキスプレスに移り、その後ナビスコのCEOに就任。 ナビスコの業績は向上していったものの、投資銀行が見込んだほどの利益が得られないことから引き上げたがっていることがわかり、自らもナビスコの引き際を考えるようになっていたところに、当時メインフレームの地位低下によって業績が下降を続けていたIBMのCEOに要請を受ける。IBMの当時の状況は非常に危機的で、受ける気は全く無かったが、難しい問題にやりがいを感じた、IBMがアメリカにとって単なる大企業以上の存在であることなどを就任に強い熱意を持って頼まれたことなどから、CEO就任要請を受けることを決意した。
当時のIBMの直接的な問題点としては、事業の中心であったメインフレームの価格が急落し資金繰りが苦しくなっていたことが挙げられる。そのため、メインフレームの値段を上げて絞れるだけ搾り取ろうとしていたが、それでは市場での信頼やプレゼンスを失ってしまうため、競合に合わせた値下げを指示した。幸運にも、IBMにいる技術の天才達がその当時取り組んでいたバイポーラ型からCMOS型へのアーキテクチャーの移行が成功し、競合とのコスト競争力が大幅に向上したことで値下げ戦略を順調に進めることができた。それでも資金繰りは苦しく、無駄だったり利益をあまり生まないような資産や事業は売却していった。また社内の硬直した官僚的な組織がコストを高くしていたこともあり、大規模なリストラに着手し、規則ではなく原則で行動すること、自分の所属する部署ではなく、常に全体の利益を考える社内文化に変えることを目指した。
当時、IBMは解体してノンコア部分は売りさばくべきだという意見が社内外でも多かったが、顧客が求めているのは各々の技術ではなく一つのソリューションであり、それを実現するためには様々な技術を組み合わせることが必要であり、総合的なサービスを提供できるIBMにとっては総合的な強さは大きな強みになるのではないかと考えていた。そのため、戦略としてはIBMは一つに保持し、分割は行わないこと、事業を顧客の視点から見直し再構築することなどを挙げた。 こうしたことを実現するためには目新しいビジョンよりも断固とした実行と地道な行動が必要であったが、一部のマスコミはこの地味にも取れる判断に対して批判的であった。
改革の重要要素として組織の改革が挙げられるが、まず経営幹部の人事について。IBMにような伝統ある大企業には内部で上手く使われていない有能な人材が数多くおり、外部から人材を引っ張ってくることは知識流失やモチベーション低下などマイナスになりかねない。そのため、自分は内部の人材を起用することを心がけた。反面、取締役は社内の決定に客観的で厳しいチェックをしてもらう必要があるため、役員数を18人から12人に減らして外部の人材を招いた。
次に世界規模での組織の改変であるが、IBMはビジネスを全世界に展開しているが、それぞれの地域での組織が独立しており、それぞれ自らの利益を最優先にし、様々な地域にビジネスを展開している顧客に対して、グローバルなソリューションを提案することが難しかった。またIBMの特徴として強力な技術開発部の存在があるが、地域、技術に強みがあっても、顧客の立場に立って考える部署が無いことが問題であった。それを解決するために、強い抵抗を乗り越えて、地域別であった組織を産業別に再編した。各部署で統一的な行動をとれていないことは広告戦略にも当てはまり、それぞれの部署で別々の広告を打ち、重複による無駄が生じていた。しかしIBMのブランド力は依然協力であるため、広告戦略を全社で統一しすることでe-ビジネスという標語により、この分野でのIBMの地位を確固としたものにした。
次に取り組んだのが給与体系であるが、IBMは終身雇用を前提とした家長父的な体系であり、業績に連動しておらず、人によって差がつかない仕組みになっており、これらの変革から手をつけた。 また、成果給としての有効策としてストックオプションであるが、IBMでは創業者の意向で用いられてこなかった。働く人達には長期的な株主のように考え行動してもらうこと、各部署の利益ではなく、全社の利益を基準とすることで一丸となって事業に取り組んでもらうこと、を考えてストックオプションを導入した。特に階層の上位にあたる役職には給与における株式の割合を多くし、全社における利益に対するコミットメントを高くすることを考えた。
これまでは危機的な状況に陥ってしまったIBMを立て直すための応急処置についての記述であったが、次から述べるのは、新しいIBMのためのビジョンとなる話についてである。 まずこれまでのIBMの簡単な歴史について、これまで、同じ会社によるコンピュータ間でのソフトウェアの互換性がなかった時代に、IBMが機種間での互換性を保障し、規模の大小に合わせたラインナップを揃えたメインフレームであるシステム360によって市場を席巻し、会社のシステムも、半導体開発からソフトウェア開発、技術コンサルタント的スキルを持った営業など、 メインフレームのビジネスモデルを中心に組み立てられていた。当時のシステム360が圧倒的であったため、会社内では社外の競争相手を見る必要が薄まり、内向きな企業文化が形成されてしまったこと、独禁法による恐れから、徹底的に競争相手と戦う姿勢が失われてしまったこと、などの負の側面もあった。 こうした絶対的なメインフレーム時代を終わらせるきっかけとなったのが、Linuxなどのオープンなプラットフォームの出現である。それによって、ソリューションの一部に特化して戦える企業が現れるようになる。またそれに追い討ちをかけたのがパソコンの台頭であり、それを読めなかったことにより、OSやCPUの主導権を他社にみすみす渡してしまうことになる。力をつけたPC産業が次に狙いをつけたのが法人向けのサーバクライアントであり、一般向けのウィンテルモデルとの互換性を武器にIBMのメインフレームと真っ向からぶつかるものであった。
しかし、各企業が自分の得意分野で専門化して、最終的にそれを組み立てる水平分業モデルは、顧客の側からするとどのサービスを選択すればよいか悩むことにもつながり、IBMの持つ広い分野の技術や知見は、そうした統合的なソリューションを提供する際の大きな優位性になると考えた。もう一つの希望として、これからは単一のPCからネットワークに主導権が移ることが挙げられる。ネットワークが普及すればPCは唯一の情報端末 ではなくなり、ネットワーク機器の需要と共に、それらを管理するためのインフラ製品の需要が高まる。またネットワーク化された情報管理者の権限は大きくなり、顧客としてIBMがこれまで慣れ親しんだ上位役職とのアクセスが重要になると考えられる。
まず、IBMをサービス主導の組織に改変するために営業部門の下にサービス部門を設置、グローバルな体制を整えたところで独立した部門とした。サービス部門は顧客の要望によってはIBM以外のソフトやハードを薦める必要もあり、サービスを中心に据えた教育や考え方の浸透を図った。 ソフトウェアの強化にも力を入れた。今後、コンピュータ業界で大きな利益をもたらすのは、ネットワーク化したコンピュータを管理するためのミドルウェアであり、そこの注力しつつ、それらの技術を持つソフトウェア会社を次々と買収していった。
次に科学的業績が非常に大きいIBMの研究開発部門であるが、それらの発見が業績に結びつかない理由として、製品部門がメインフレームと競合することからそれらの発見の製品化に及び腰であったことが挙げられる。こうした科学的発見を業績に結びつけるために特許のライセンス供与を始め、それらの技術を利用した部品の販売を行うことで大きく利益に貢献できるようになった。個別のサービスに適応するためのカスタマイズ半導体は高度な技術力が必要であり、ネットワーク機器などの需要によってその利益も大きく業績に貢献するようになった。
次に焦点を絞ることについて。IBMは個別の顧客の要望に沿うアプリケーションを数多く開発していたが、それら全ての領域でトップクラスであり続けるのはもはや不可能になっていた。さらにそれらのアプリケーションを専門化して扱う会社を敵に回すことで、それらの会社がIBMと他のハードウェアを初めとする製品群を顧客に薦めることによる機会損失も大きいため、アプリケーション事業からは撤退し、それらを開発する会社と提携することでアプリケーション以外の部分でIBMの製品を薦めてもらえるようにした。同じようにネットワーク事業など、IBMの基幹とは成りえないと判断した事業からは撤退の道を選んだ。 インターネットの発展によるコンテンツの囲い込み争いやプロバイダ事業、ブラウザの開発にも加わらず、そうした企業と競合するつもりではなくそれを助けるソリューションの提供に徹することを示した。そしてこれまで非公開にすることで顧客を囲い込むことを狙ったIBM製品の仕様をオープンにすることで幅広いクライアントに使ってもらうための基盤作りを進めていった。
IBMの経営やこれまでの経営で学んだことについて3つの基本的なテーマが挙げられる。1)事業を絞り込むこと、2)実行面で秀でていること、3)顔の見えるリーダーシップが行き届いていること、の3つである。
事業を絞り込むことについて、企業が自分の得意でない分野に進出して成功する確率はかなり低い。本業が困難に見舞われたらあくまでその問題を解決することに力を注ぐ方が多角化に比べると実際にははるかに容易なのである。 しかし実際にはそうした多角化を進める経営者は多く、多角化の際に買収欲にはまってしまう場合が多いが、買収によって短期的に株価が上がるからと勧めてくる投資銀行には要注意である。実際に経営について深く分析をしていれば投資銀行が薦めてくるような買収案件で良いと思われるケースは稀である。実際これまで経営者として扱ってきた案件に投資銀行が薦めてきたものは一つもなかった。 事業を絞り込む際の難しさは現行の各事業から不利な情報が出てきにくいことがある。また選択の決定にあたって資源を振り分ける際も困難が伴い、今まで儲かっていた事業がより多くの予算を受け続けることになりがちで、新しい事業の芽は往々にしてつぶされてしまうことが多い。そのため、経営者がその芽を守ってやる必要がある。
次に実行に関してであるが、自ら経営コンサルタントとして経営に関ってきた時からの経験であるが、戦略面で競合と大きな差をつけることは難しく、実際には戦略をいかに徹底して行うかの方がはるかに重要であるケースが多い。優れた戦略があっても業績が伴わないのは、実行に関する評価が行われていないからである場合が多い。卓越した実行を行うための要因として以下の3つを挙げられる。まず日々の業務での卓越した業務プロセスが存在すること、次に社員の全てが深く理解することのできる戦略の明確さ、最後に、卓越さが賞賛され競走意欲の高い、好業績をはぐくむ企業文化が挙げられる。
最後の、顔のみえる指導者であるが、これが最も大切な要素である。顔が見える指導とは、組織の全員にとって顔が見えるものでなければならず。偉大な経営者は自ら問題に取り組み、他人の仕事を統括するだけの立場にはならない。また情報交換、対話を大切にする意思が在ることであり、戦略と業務のどちらも重視する姿勢でもある。だが一番大切なのは競争に勝とうとする情熱でありその熱意は組織に伝播し好業績を好む企業文化を創り出す。誠実さも重要である。経営者は多くの従業員を評価する立場でもあるが、それが一貫した規律にしたがっていないと士気が失われる。そのため経営者は常に公平さを心がけなければならない。
(その他にも企業文化やIT業界の今後の動向についても述べていますが省略)
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技術の伝え方
![]() | 組織を強くする技術の伝え方 畑村 洋太郎 講談社 2006-12-19 売り上げランキング : 931 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆★ |
技術を伝えるための具体的なコツなどについて多く述べられているため、普段あまり意識しなかった知識の伝え方や説明のしかたなどをあらために意識する意味でもとても有意義な本だと思います。また人によく伝えることを考えることは、いかにしてひとが理解、上達するのか、ということを考えることにもつながり、伝える側から考えることで自分の技術や知識の研鑽するための補助にもなります。
ただ、自分的には、具体的な示唆は多いものの、説明される示唆の順序が断片的であったり、ちょっとまとまりがなくて読みづらかったように思えたことと、述べられているアイデアは具体的ではあるものの目新しさという観点からは地味でもあるため、私的評価は☆は3個半としましたが、自分の行動を振り返るきっかけにもなり、伝えるための考え方を整理する意味でも面白かったと思います。
「要約」
団塊の世代の退職によって企業を支えてきた技術が産業界から失われてしまう2007年問題が騒がれているが、世代間に限らず、技術を人に伝えて再生産していくための方法は重要である。ここで本書で述べる技術の定義であるが、「知識やシステムを使い、他の人と関係しながら全体を作り上げていくやり方」とする。技術とは個人の中で完結する技能ではなく、人に伝えることも可能で、複数の人が持つ知識を組み合わせることでより規模の大きいものも作りあげることも可能となる。そのためにも他の人に知識を共有するための伝え方が重要になる。
技術を伝える相手としては、世代的、場所的、時間的に離れた他人、あるいは未来への自分、などのケースがある。企業における競争環境の変化による配置転換など、人の移動が起こり、移動後でもその人の持っていた業務がスムーズに移行できるようにする必要性がある。定期的に伝達のために暗黙的な技術を明示化する必要に迫られて技術が残り易いというメリットがある反面、技術自体が失われるデメリットも考えられる。また企業間による技術移転では、人を介さない形で技術が伝えられると考えられがちであるが、実際には現場の気を含めた雰囲気も重要であるため、直接的な人による指導が欠かせない。技術を伝える必要性としては、技術を後の世代に伝えることで無駄な試行錯誤を避けることで効率的に発展を図ることができることとが挙げられる。もう一つで重要なのが、中途半端に技術が伝えられると、六本木の回転ドアにおけるドアの重さの重要性や、JCOの核燃料における形状管理など、暗黙的で重要な知識が正しく理解されていなかったために、大損害を起こすリスクがある。最近ではコンピュータによるシミュレーションによって開発コストを大幅に下げるシステムがあるが、その現実の裏にある暗黙的な知識を見逃す恐れがあることを念頭においておかなければならない。
そのために企業などでも社内研修などで社内の技術を効率よく伝える試みが数多くなされているが、実際にはなかなかうまく機能していない。技術は本来伝えるものではなく、伝わるものであり、伝えられる側の立場で考えた「伝わる状態」をいかに作るか、に最も力を注ぐべくである。マニュアルなどは最初はシンプルであっても、環境の変化に応じて分量が増えてしまう宿命にあり、本質だけを抽出する作業が忘れられがちでもある。分量が増えると読むのも面倒になり、その結果、マニュアルの無視という最悪の結果に陥ることもある。伝えるための方策として、試験などを課すという強制的な手段もある。これはムチとして効果的でもあるが、やはり自発的な興味に及ぶものではない。人に知識が伝わる時というのは、相手の頭の中にある知識の構造が自分の持つ構造と(ほぼ)一致することでもある。もし説明を受ける側でそのような知識の構造を持っていなくても、経験豊富な人は似たような構造を当てはめることで理解を得ることができる。このようなことから説明する側は相手の持つ知識の構造に応じた説明をしなければならない。 失敗経験を集めたデータベースがあまり機能しない理由は、原因と結果だけしか載っておらず、原因によって、当事者がどのような行動を取ったかがわからないため、その知識を活かせないことが考えられる。伝えられる側が理解しやすい形でデータベースを作ることを考えることが重要である。
次に伝える側に知識や技術を受け入れる素地を作るための方策であるが、 知識をうまく伝えることができるかどうかは、相手の知識を吸収しようとする意欲に大きく左右される。そのため、相手に自発的に知識を得たいと思うように仕向けることが大切である。以上のことを踏まえて、技術を伝えるために必要だと思われるポイントとしては以下の5つが挙げられる。
1) まず体験させる
2) はじめに全体を見せる
3) やらせた結果を確認する
4) 一度に全部伝えない
5) 個はそれぞれ違うことを認める
1.は実際にやってみることでもっと知りたいという具体的な欲求が出てくること、2.は全体を見せることで今自分がやっていることがどのような役割を果たしているかがわかる、3.は初めて経験する人は結果の良し悪しがわからないので評価基準として教えること、4.は知識は階層的な構造を持っており、それぞれの段階にあった教え方をするべきであること、5.は理解の方法は人によって違うので伝える側はそれに応じる工夫をすることを忘れないこと、となっている。 基本的に技術や知識は自分が欲しいと思ったところをむしり取るくらいの方が身に付くものであり、そうした場を持つことが大切である。
伝えるものには、知、技、行動、の3つの種類がある。知は生産活動に必要な知識であり、技は様々な作業についてまわる技能的な行動や判断で、行動は技とも呼べない行動のことで安全などがこれに該当する。これに加えて特に意識しないで伝わるものとして、価値観や信頼感、責任感といった企業文化や気といったものも重要である。 また伝える知識にも階層性があるが、企業の階層性や技術の決まりごとなどにも階層性があり、これらは関連しあっていて、この関連性が理解できるようになると全体的な立場で考えることができ、伝えるべき知識を伝えなかったなどのミスが防ぐことができる。知識を伝える時は客観的になることが大事であると考えがちであるが、そうした観点からは暗黙的なことが忘れられて伝えられるものが無味乾燥なものになってしまうので、こうした知識の構造がわかっていれば主観的に伝えることも重要である。また暗黙的な知識は伝える際に忘れられがちであるため、そうした暗黙知を明示化することが大切になってくる。 人に伝えるためにまず大切なのが受け入れの素地を作ることであるが、これが上での1.2.に相当する。受け入れる素地ができあがった後の伝え方としては、3.の結果を確認させることが大切になるが、そのためには、伝えた相手にその内容をアウトプットさせて結果をフィードバックするのだが、アウトプットをさらに他の人に教えるという形式で行うことで、他人に伝えることを意識することで曖昧でない体系的な理解が得られるメリットがある。2.の全体を見せることも大切で、技術の思考展開図やスケルトン図などの体系的に得た知識を全体の中でマッピングすることなども効果的である。 また伝えたいことをうまく伝えるにはイメージを伝えることが効果的で、自分の体験の中で得たイメージを相手に伝えるのであるが、人のイメージの基となる体験は人それぞれなので、相手の持っているイメージに沿うように、伝える側は試行錯誤する必要がある。
人に技術や知識を伝える際には、強くイメージ喚起を促す写真や画像を利用することが非常に効果的である。しかしそうした画像は情報が多すぎることが多く、要点を抽出して伝えるためにも言葉で補完するなどの工夫が大切になる。その際、伝える側としても伝える内容を図にするためには深い理解が必要となる。また伝える内容として、やるべきことだけを伝えると表層的な知識しか伝わらないこともあるが、何をしたら失敗するか、この技術が生まれる過程でどのような失敗があり試行錯誤があったのか、といった技術の生まれる過程や背景、文脈を多面的に伝えることができれば、伝わる知識もより深みのあるものになる。
一人だけが技術を身につけても組織としては大きな成果は出すことはできず、さまざまな人が知識や技術を組み合わせることが重要となる。そのためには個人が責任を共有することが大切で、個人がそれぞれの考えを持つための独立性が担保されなければならない。そうした上でそうした個人知を共有するためには、互いが持っている個人知を表出する場を設けることが有効である。その際に各個人知がしっかりとしたものであるためにはその場に集う以前に各人がしっかり考える必要がある。各人がしっかり考えてきていれば、相手のアイデアもある程度考える経路がわかるためスムーズに知識を共有できる。そうした知識を共有するためには、普段からその人と接していると、その背後にある思想や価値観などがわかるため、さらにスムーズに相手の知識を理解することが可能となる。また、共有知だけが重要というわけではなく、各個人知の重複が少なければそれだけ知識の広がりが大きいわけで、共有するための伸びしろは大きいということになる。なのでさまざまなバックグラウンドを持つ人でチームを組めばそのプロジェクトは発想豊かなものになるだろう。
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投資銀行
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最近M&Aやボーナス一千万支給など、最近ニュースなどでよく聞く投資銀行ですが、具体的にどんな仕事をしているのか興味を持って読んでみました。
今までは投資銀行というとハゲタカファンドなどを連想してなんとなく自分の利益だけを追求する虚業というイメージを持っていたのですが、この本によると投資銀行は世界中のネットワークを利用して、依頼主である企業の価値を向上させるために買収するべき対象を探し出したり、売るべき事業の選定や売買の交渉など、様々な面からサポートする心強い存在であるようで、その仕事内容がかなりわかりやすく説明されています。
投資銀行の業務は主にM&Aという領域に限定されているものの、経営上一般的な問題解決を図る経営コンサルタント業務にかなり近い印象を受けました。逆にこの本を読む限りそうした高い質のサービスの提供では日本の銀行はかなり遅れているように思われます。 M&Aは短期間で事業の拡大を図るための有効な手段として世界的に広がっていますが、日本もその流れに乗りつつありさらにこの流れは加速化していくように思われ、この本で述べられているような、企業価値を明確化してそれをとことん追求する考え方はますます必要になってくると思われます。
もっとも、こうした考え方は現時点での最適な事業組み合わせを提供してくれるかもしれませんが、新しい事業を開拓するのはあくまで企業側の仕事であり、そうした考え方の間でのバランスを取ることも重要なのかなあと思ったりしました。もっとも、日本だと後者の考えにしがみついて本来見切りをつけるべき現状の事業を切り捨てられずにジリ貧になるケースの方が多そうですが…。
「要約」
日本のバブルのピークから現在までで、アメリカと日本の株価は10倍の差がついてしまっているが、これは日本の経営者が企業価値を最大化するという観点が欠如しているからである。 企業価値は最終的には株価という形で表され、経営陣はこの株価を最大化するための意思決定を下していかなければならない。こうした基準の存在によって、株市場における値動きや直接株主が物言うことによって経営陣にチェックが入り健全化が図られる。
投資銀行は顧客企業の価値の向上を図ることを任務とする。そのための項目として、収益力の評価、成長性の評価、競争力の評価、企業のうちどの部分が価値に貢献しているかを見るバリュエーション分析、どうすれば株価が上がるかという機関投資家の視点、を考慮して、事業の売却やアライアンス、企業の買収や出資、資本戦略、などの手段を用いて企業価値の向上を目指す。分析だけでなく、実際に事業の売買となった時も投資銀行はその仕事のアシストする。特に投資銀行は日本の銀行に対して、グローバルに展開している人たちの情報連携によって、事業を売買する適切な取引相手を早く見つけることが可能であるという強みがある。売却するためのオークションの設定などのノウハウも豊富であり、売買における値段のやりとりも論理的に交渉を行われる。 こうした仕事の際の投資銀行の報酬は取引額の2~3%という形になっていることが多い。したがって、大手の投資銀行は400億以下の取引になる仕事は請けないことが多い。そのため日本の銀行の請負件数は外資に勝るものの絶対額では外資の方が大きく勝っている。
こうした事業の売買を扱っている投資銀行だが、顧客との長期的な関係を考えて、敵対的買収には慎重であるという。敵対的企業買収の形態としては、該当企業の株を買い占めてその企業に高く買い戻させようとする「グリーンメイラー」、買い取った企業に優秀な経営陣を送り込んで株価を向上させて売る「ファイナンシャルバイヤー」、企業の戦略的な展開のための「ストラテジックバイヤー」の3つが挙げられる。敵対的買収においては、大量に資産を有するものの利益を生まない企業は利益で決まるため低い株価に対して資産売却による利益や改善の余地が大きいため狙われ易い。また子会社を上場している企業も資本のネジれによって狙われることが多い。
日本の銀行の悪いところであるが、外資系投資銀行が顧客の価値向上を第一目標としているのに対して、日本の銀行はあくまで自分の得られる利益を優先する傾向がある。また企業価値の基準を持っていないため、株価が下がってしまうような売買案件を提案することもしばしばある。グローバルな展開を行っていないために企業や業界に対する情報力もかなり弱いしグローバルな視点も欠けている。日本の銀行は政府によって、公的資金の投入や、公的利率の低さによって甘やかされており、現在の日本の銀行の好況も、利率の低さ、すなわち国民の犠牲によって賄われた超低コストな資金を、資本参加している消費者金融においてとても高利に国民に貸し付けることによって成されているのである。
投資銀行でのワークスタイルであるが、一般に投資銀行は高給で最近は学生の人気も高いが、仕事内容はそれなりにハードである。人件費は変動費として考えられており、業績が良い時は給料もそれに反映されるが、悪い時などは速やかに人員整理を行ったりする。また一流の投資銀行ほど、成果と年収との関連が緩やかである。それは一流の投資銀行ほど仕事をサポートする人的組織的ネットワークが整っており、お互いが情報交換によってフォローすることで成果を組織全体のものとして考え、仕事の性格上、不安定になりがちな成果もヘッジでき、また顧客に対してもより長期的な観点から付き合えるようになるというメリットが見込まれるからである。 投資銀行は3つの部門に分かれており、M&Aのアドバイスを行う投資銀行部門、それぞれトレーディングや販売を行う、株式部門、債権部門、がある。その中で投資銀行が欲しい人材としては、ハードな仕事でも続けられるやる気を持っていること、そのやる気も基となる動機がしっかりとしていること、仕事のセルフマネジメントがしっかりでき、人との協力がスムーズに行えること、なにかしらのトラックレコードを持っていることなどが挙げられる。投資銀行ではヘッドハンターによる引き抜き合戦が頻繁におこなれているが組織としては、そういった引き抜きに対しては接触を持たせない、引き抜かれた場合は一切情報を持ち出させない、といった配慮をしている。
これからは日本も本格的なM&Aの時代に突入することになるだろう。2006年の春からはKKRというアメリカの投資銀行の代表格が上陸することになる。このKKRという投資銀行は初めて、手持ちの資金が無くても買収先の収入を担保に資金を借りるLBOを実用に移した銀行で、今までに買収した企業の駄目だった経営陣を更迭し、優秀な経営者を送り込んで高収益企業にしてきている。ナビスコを買収して後にIBMを立て直したガースナーを経営者として送って立て直したのがその代表的な例である。買収された企業の経営陣は大概無能であると更迭されるため、こうした投資銀行が日本に上陸することで日本の経営者もよりいっそう企業価値の向上に真剣に取りくまなければならなくなり日本経済の活性化に繋がるであろう。
*省略したが他にも仮想の買収劇シミュレーションの記述などもある。
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プロフェッショナル原論
![]() | プロフェッショナル原論 波頭 亮 筑摩書房 2006-11-07 売り上げランキング : 23290 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆★ |
内容は表題のとおり、プロフェッショナルとはどうあるものか、についてのものですが、プロフェッショナルの思考法やスキル的な側面ではなくプロが持つ高い倫理規範などについて熱く述べられているところが他のプロフェッショナル本とはちょっと違うところでしょうか。著者は外資系コンサルタント出身の人ですがかなりストイックな方です。
プロがプロたる所以はその能力の高さもありますが、何より常に高みを目指す、真の意味で自分ではなく相手のために尽くす、等、自分に課す厳しい規律があるからということがわかります。自分にとってはプロフェッショナルなどは青天の霹靂で、規範などとは程遠い生活を送っていますが、プロが成果を出すために厳しく自分を律することができるのも、プロという生き方に憧れを持つことができるからこそなのだとも思えます。 自分がプロの規律を持つことはなかなかできそうにありませんが、こうした人たちに対する強い憧れは持つことができます。こうした憧れに沿うような行動を日常で暮らす中で少しでも増やせるように精進していきたいものです。
「要約」
まずプロフェッショナルの定義として、形式的な要件としては、高度な職能、依頼による顧客の問題解決形式の仕事、独立した立場を、意味的な要件としては、公益への貢献、厳しい掟の遵守、がある。ここでは弁護士や医者などがそれに該当する。プロスポーツ選手などは、仕事が依頼形式ではないことや、直接的な公益への貢献という意味からは狭義のプロフェッショナルとはいえないかもしれないが、自らに律する厳しい規律を持つ者などは広義のプロフェッショナルにあてはまる。 プロフェッショナルの魅力としては、仕事を選ぶ自由、組織に属さなくても仕事が出来る安心、また、自尊の念と社会からの敬意が挙げられる。 あくまでプロの仕事は属人的であるため組織に依存せず、サラリーマンであれば、自分の能力以外の要因によっても仕事が割り振られたりするようなリスクもなく、成果も全て自分の実力次第である。もちろん逆にそれは仕事の成果へのプレッシャーにも繋がるが、成果が直接的であるため仕事の成果に対するプライドにもつながり、また公益に対する貢献から社会から受ける敬意も大きいものになる。
プロフェッショナルが自らに課される掟として、顧客利益第一であること、結果が全てであること、常に仕事の品質を追求すること、コストを最小化するのではなく価値を最大化すること、全権意識を持って仕事に取り組むこと、が挙げられる。
顧客利益を第一とするのは当たり前かもしれないが、顧客の利益には繋がるが顧客の意にはそぐわないような提案も躊躇してはいけない。なぜなら顧客の意にそうようにすることは自らの利益を考えてのことであり、高い職能による情報の非対称性による公益の観点からプロは常に顧客の利益を第一に考えなくてはならない。
またプロは仕事が選べる自由がある代償として、一度請け負った仕事はなんとしても成果を出さなければならない。その過程は全く関係なく結果が全てである。卓越した職能よりもこうしたプレッシャーの中で仕事を続ける精神力こそがプロたる所以であろう。
プロが卓越した職能を維持するには常に自分の仕事の質を最大化するように努力をしなければならない。それはその個人の最大限の成果ではなく、世界一という絶対的な質を追求するべきである。これはかなり厳しい掟に思えるが、プロはむしろその高いプライドから自分の実力の見せ場であると嬉々として取り組む。
プロはその成果を最大化するように心がけるべきで、時間や費用などケチっていてはいけない。サラリーマンなどは直接的に成果にコミットしていないので目の前のコストを削減するために無駄な労力を払うこともあるがプロはそうはいかない。またそうしたケチが仕事の成果への追求心を弱めてしまうことにもつながりうる。
またプロは仕事に対して全権意識を持って自立的に取り組む。そのため仕事のプロセスは誰からもチェックしてくれないないため全て自分で仕事を進める責任を有する。人にアドバイスを求めることはあっても、頼ってはいけない。あくまで自分の力で成果をださなければその人がプロである意義が無くなるからである。
プロと同等の職能を持つサラリーマンはいるかもしれないが、本来のプロフェッショナルはこうした掟を備えているからこそ、卓越した成果を常に出し続けることができ、プロでいられるのである。
次にプロの仕事の仕組みとプロが仕事をするために所属する組織について。まずプロは顧客とは対等な関係であり顧客の目的を達成するための対等なパートナーであり、お互いの信頼関係がなければ問題解決はおぼつかない。 またプロは基本的に仕事を売り込まない。あくまでプロは公益のために存在するのであり、自分の利益のために働いてはいけない。また仕事を請けるときは自分が確実にその顧客のために成果を出せると判断した時でなければ請けてはならない。高度な職能が必要とされる仕事では顧客との情報の非対称性が生じるため仕事の妥当性が依頼人にはわからないことが多く、プロが誠実でなければ公益に反することになる。
また、プロが得る報酬の仕組みについて、一般には時間単位のフィーに実働時間を乗じたものとなる。この時間単位のフィーはそのプロの実力を現したものであるため、プロのプライドが懸かった数字であり値引きには応じない。貧乏だがどうしても助けてあげたい人がいた場合は中途半端に値引きするよりタダで引き受けるくらいだという。また基本的に成功報酬は禁止である。なぜなら、成功しないと受け取らない、というのは成功しなかったときの逃げにもつながり、プロは仕事を引き受けた以上はかならず成功させなければならず、最低限そうした気概は必須であろう。 プロの仕事は属人的で組織に依存するものではないが、社会においてプロの仕事を円滑に進めるためには、各業界に協会やファームといった組織が存在する。これらの組織はプロになるための試験などのフィルターを用意することでプロの力量を保障することでプロ全体のの威厳を守ったり、あるいは組織的にプロの仕事環境の向上のための便宜を図ったりする。
次にプロの行動特性について。プロの特徴として、行動的、意欲的、個人主義的、論理的、ということが挙げられる。 プロは常に最先端について知っていなければならず、いきおい日常生活でも好奇心旺盛で行動的となる。まずタフであり、思い立ってからの行動が早いのが特徴だ。またプロは日常生活や趣味であったも常に最上質を求め、高い目標を設定し、安易に撤回したりはせずそれを意欲的に達成していく。 またプロは人と群れるのを好まない。それは仕事の進め方を完全に自分で進めるワーキングスタイルからくるものであり、安易な同調は無能とされ他人と異なった意見やアイデアが求められる環境にいることからきているのだろう。またプロは問題解決を仕事としているため非常に論理的であり、原因と結果の因果関係の構造を整理することを無意識の内に行い、そういった追及を行うのが癖になっている。プロの話法としては、明快に自分の意見を述べる、その根拠を必ず述べる、選択肢や可能性を複数挙げる、といった特徴がある。こうした癖が出ると一般では煙たがられることもある。こういった特徴を述べると誤解されそうだがプロは論理的であるが、同時に実務家でもあり、一般に常識人であることも補足しておく。高い技能を持ちながらも、常識人であることから威厳を纏った存在感を示すことができるのだ。
最近は建築士や会計士といった本来プロである人達による、自分の利益を追求しようとした結果の犯罪が起こっている。プロは誰にもその仕事を監視されないし、求められる職能の高さゆえにそれを評価できる人も少ないため、こうしたことが起きる危険性はもともと高い。またその公益への貢献から特権的に与えられている権威も誘惑となる。こうした要因に加え、近年の日本ではお金による価値観が肥大化してしまったために、利益に走るプロが出てきたのだろう。こうした傾向はプロフェッショナル全体の危機でもあるが、プロが自分の利益のためにプロフェッショナリズムを棄てる代償も大きく、それによって企業の手先に成り下がったり、法を犯すはめになって社会的な尊厳を失ったり、自己への自尊の念を失うことになり結局割に合わない。最初に述べた永い歴史にわたって存在してきたプロフェッショナリズムはそんなにやわではない。プロフェッショナル各人がおのおのその本分を発揮していればおのずとプロの尊厳は守られる。むしろこうした金銭的な価値観以外の誇り高い価値観を、その仕事や生き様を通じて今の社会に伝えることができれば、それこそが大きな社会貢献につながるのではなかろうか。
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使える!確率的思考
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本書は確率的考え方を日常に潜む確率的な要素を絡めてわかりやすく説明しています。ただ日常的な話ではなく、著者が経済学者であることから経済学の観点からの発想が述べられていて、確率を通して経済学の考え方にも触れることができます。
「要約」
世の中が不確実性を含むという意味では世の中での営みは確率的な振る舞いを理解することが物事の本質をより理解するための助けになる。人がよく確率を知らないで犯す間違いとして、縁起を担いで宝くじの当たりがでたところでまた買ってしまうというものがある。しかし本当の乱数の生成は難しいため、人々の振る舞いにもなんらかの合理性がある場合もある。株で勝った人が書いた株必勝本などが売られているが、大数の法則によって、参加者数が大きければ買い方などに依存せず、必ず大勝する人が一定以上の割合で存在するので、必勝法が存在するのではなく、実はたまたま勝った人がいるに過ぎない。ランダムウォークの話として、一定期間中に勝ち(負け)続けることは度々あることで、これがツキと信じられている。またランダムウォークの特徴として、どちらかの金がなくなるまでやる賭けの勝負では、負ける確率はそれぞれの持ち金に比例するため金持ちとの勝負は勝ち目が薄いとされる。
確率には4つのアプローチがあって、それぞれ、数学的確率、頻度的確率、主観的確率、論理的確率、が存在する。数学的確率とは理想的なサイコロなどのように対称性などから振る舞いが数理的に導かれるものを扱うもので、厳密性は高いものの、現実への応用が狭いという難点がある。頻度主義はある事象の頻度を計ることで確率を付与するものであるが、精度の良い確率を求めるには沢山の試行が必要であることと、その確率が正しいためには試行の条件が未来でも普遍であることが必要であるため、実際の応用では制限を受けることが多い。主観的なものは、人の感じる確率を扱うもので曖昧さが付きまとうものの、過去のデータがあまりなくとも環境が不安定でも使えるというメリットがある。論理的確率は、人が推論を行う時に用いる様々な理由付けを組み合わせたもので、現在発展中のテーマでもある。
実際に確率を実世界に応用した例を紹介。不確実性をうまく利用した例として抜き打ちテストを挙げる。いつやるかわからないリスクに備えることが難しいため全ての授業に出るようになって少ないコストで出席率の向上が図れる。検問や査察などもこれと同様。逆に言えば規則性を読むことができれば利益を得る機会があるということにもなる。例えば大学受験などでは一年前の倍率を考慮してその年の倍率はそれと逆になることが多い。しかし株取引などのような規則を必死で読もうとする人が多いところではなかなかこれが通用しない。 次に臨機応変の話。授業で先生が試験を課すのは勉強してもらいたいからであるが、先生としては試験をするのはめんどくさい。したがって、試験をすると言っておいて学生に勉強させて 実際には試験はやらないのが先生にとって一番楽な選択となる。しかしそれがうまくいくのは最初だけで学生もそれを見抜くようになる。臨機応変に振舞えることが最初の宣言の信憑性を失わせるからである。したがって最初の宣言の信憑性を増すためには臨機応変さを納得いく形で封じることが必要となる。話は戻って不確実性の実用として、アンケートで答え難い質問に答えてもらうために、答えることに不確実性を付与することで本当のことを答えてもらい、不確実性は最後にその不確実の割合を削ぎ落として全体としての割合を知る、などの方法がある。他に、乱数を利用する方法としてモンテカルロ法を挙げ、乱数によって生成した条件で結果をシミュレートする実験を大量に行って、より適切な解を求める方法がよく用いられている。
統計データから何かの特徴を発見するための方法について。データをある程度の期間でのスパンで平均をとって中期間でのトレンドを見つける平均移動法などを挙げている。データから見つかる面白い特徴として、スポーツ選手になる人の出生時期は4、5月が多い、ことや、めでたい日まで死期を遅らせることができる、ことなど、推察を加えながら説明。こうした統計データを読むことは世界に対する好奇心を満たすきっかけとなるのではないだろうか。次に統計の要素として、平均と実際の値がどれほどのブレで起こりうるかを示す標準偏差についても言及。標準偏差が大きいほど期待される値とのブレが大きく、それだけリスク、およびチャンスの幅が大きいということになる。水位になぞらえて、平均が水位で、波の最大最小の高さが偏差に相当する。投資にもなぞらえて、企業の実力から割り出す投資では平均が重要で、短期的なチャンスを狙う投機では偏差が重要である。
統計には期待値という言葉があるが、機械の故障確率などの確率密度の期待値の値と実際に感じる頻度には隔たりがある場合がある。それは確率分布が幾何分布と呼ばれる、非対称で右肩下がりの分布で起こり、それは実際の平均値よりも右のテールで永延と続く頻度が小さい部分が期待値を押し上げているからである。豆知識としてはその平均値となる値以下となる割合は自然対数e-1:1となるそうである。幾何分布の性質としては現在の確率が以前の試行結果とは無関係である、無記憶確率であるということが挙げられる。無記憶性の例としては真空管などのある種の機械の故障発生率は、故障確率が作られてからの時間の長さとまったく関係の無いことなどがある。所得分布などでも平均と実際の感覚が違うのも同じような理屈である。この場合は最頻値を用いれば実態の感覚とより近くなる。ちなみに所得分布などは物理現象を表したエントロピーモデルでも表すことができ、これは人間社会でも何らかの単純な物理現象と同じランダムさが働いていることに繋がる証左ではないだろうか。
最初の確率のアプローチの分類で頻度確率と主観確率があったが、たくさんのデータから確率を求めようとするのが頻度主義であるが、そうしたものを前提とせずに確率を推論できる主観などを用いる手法としてベイズ推定というものがある。これは予想したい事象が事前に起こる確率(事前分布)を適当に仮定しておいて、それと、その事象だった場合に実際に起こった事象が起こる確率と用いて、実際に起こった事象が起きた時に、その原因となる事象である確率を求める手法である。事前確率という曖昧さがあるが、これによってデータがほとんど無い状態でも推定を行うことができる。推定を繰り返すごとに事前分布の精度が上がり、結果推定の精度も良くなっていく。ベイズ推定は人の推定モデルをよく表したものであり、ビジネスで非常によく用いられており、スパムメール推定やマーケティングなど利用範囲はとても広い。このベイズ推定の考え方を用いた経済理論として貨幣錯覚というモデルがある。これは流通貨幣の量によるインフレと失業率というあまり関係の無いはずのものが関係する理由を説明するものであり、市民にとってはインフレが流通貨幣の量に拠るものなのか、あまりあることではないが何かしらの需要供給関係が変化した結果なのかがわからないため、もし需要供給が変化した結果であれば対応しないといけないため、実際には流通貨幣が増えただけであっても、需要供給が変わった場合での振舞いを念頭に置いた行動を取ることになる。
社会現象に確率を用いた例を紹介。一般に確率それ自体は変化しないものであるが、銀行の取り付け騒ぎや癌の告知など、確率(それに関する情報)を公表することでその確率自体が変わってしまう自己言及性について。他には組織におけるやる気のある人とそうでない人の割合が一定であることを説明するモデルに自分がもらえる収益を最大化する戦略として確率を用いているものがある。日常的な確率感覚にとって重要な視点として、決断しなかった事象を観測することはできない、ということがある。人は自分の経験によって行動の基となる内的な確率を更新していくのであるが、たまたま判断して失敗した経験があると、その行動を取らなくなるためその行動に関する確率情報が更新されず、この性向は人を保守的にしてしまう。こうした状態に陥らないためには、確率を意識することが重要なのではないだろうか。
世の中の不確実性に対するための方策として、個人だけの経験にたよるのではなく、他人の経験に頼ることは有意義なことである。他の経験を基に行動を判断するモデルとして、様々な経験があってそれらの優位度があり、そして現在直面してる問題とそれら経験との類似度と優位度とを考慮して人は行動を決定するという事例ベース意思決定がある。また人の選択肢の多い手段を選ぶ程度をモデル化したものがあり、期待値を求める時に選択肢の最大値を利用することで、人の優柔不断性を説明している。貨幣などはこの人の優柔不断性を満たすものとしても考えられる。
最後に、著者は、人は判断を下す基として統計的な頻度をいつもあてにしているわけではなく、頻度における平均などで判断しようとするとその結果がもたらすことに見落とすものが多い。1%の死亡確率による期待損失X時間というものと、実際に死ぬこととは大きなギャップがある。人は自分の内面にもつモデルに基づいて行動するわけであるが、それらのモデルも各人が所属する社会と常に関っている。そうした社会を説明するためにも正しい選択と合理的な選択を解き明かしていきたいと思う。
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