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読んだ本の要約、感想など。 他にも日々思ったことをつれづれと書き連ねます。
私塾のすすめ
![]() | 私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる 齋藤孝 梅田望夫 筑摩書房 2008-05-08 売り上げランキング : 67 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆ |
これまで梅田氏は何冊か対談書を出していて、人はどのような意義を感じてWebを利用するのか、Webによりどのようなモチベーションを得ることができるのかなど、Webにおける人間性をテーマの中心に据えた「ウェブ人間論」、ポジティブにWebの拡大について論じ合った「フューチャリスト宣言」(テーマとしては発散気味でタイトルに編集者の苦悩が見られます)などが出版されました。
本書の対談相手は教育方面などで著名な齋藤孝氏です。齋藤氏はウェブはほとんど利用しないということもあり、今回の対談は必ずしもWebを中心とした話ではありません。本書のテーマとしては、齋藤氏は上達論や自己形成を自身の中心テーマの一つとして持っていて、一方で梅田氏はロールモデルという、自己形成についてのモデルを持っていることから、これからの時代、いかに人は自己形成を図っていくかについてを中心に対談は進んでいきます。
自分が本書での最大のテーマとして受け取ったのは「間接的な志向性の共有による自己形成」でしょうか。梅田氏は志向の共通する人を見つけることの大切さを説いていて、Webがそのような共通する人を見つける手間を低くしてくれると同時に、様々な志向性と出会うことで自分にあった志向性を見つけることを手助けしていることに言及しています。
一方で齋藤氏は他の著書でもよく、"あこがれにあこがれる"という表現を用いて、人が誰かにあこがれるのは、あこがれの対象となる人の能力や性質よりも、その人が何かに打ち込む様(あこがれ)、に対して惹きつけられることを述べています。実際にあこがれを抱く人となかなか会うことができずとも、志を同じくする人が存在し、その志に向かう情熱の様をしることができれば、そのあこがれに引っ張られる形で自分の中にそのあこがれ(志向性)を維持することができるのではないかとしています。
こうした志向性やあこがれが共通する人を見つけることが自分の志向性を知る上でも、その志向性を伸ばしていくためにも大切です。ですが、見つけた後にその人との関係を現実世界で維持するのはなかなかコストがかかってしまいます。そうしたことから梅田氏はブログなどのWebツールを用いてその人の活動をトレースしたし、意見交換するなどの緩い関係で自己形成を図ることを述べています。
それに対し齋藤氏は、自分の中にそのあこがれの対象となる人のモデルを持ち、自己内で対話することで自分のあこがれを再確認するための自己内対話力に注目し、その例として読書を取り上げているのがとても面白い点です。
読書では読者は書き手と直接対話することはできません。ですので多少なりとも噛み応えのある本を読もうとすると、書き手がどのように考えてその文章を書いたのかを絶えず自分の中で考える必要があります。そうした作業を通じて徐々にその書き手の考え方や志向性のモデルを自分の中に築くことができます。読書において本からどれほどの洞察が得られるかはこうした自己内の対話力が鍵になりますが、同じことを出会った人間から何かを得ることに対しても当てはまるのではないか、としている点が齋藤氏らしい見解で興味深い所でした。
梅田氏も大量の本を読むそうですが、特にロールモデルを発見するための読書が多いと述べています。梅田氏が自身のワーキングスタイルを見出すきっかけとなったシャーロック・ホームズの例のように、本の著者や描かれている人物のモデルやスタイルから自分のモデルを得ようとしている点は齋藤氏とも共通しています。
Webの可能性について述べたウェブ進化論が有名な梅田氏ですが、これまでの対談書やウェブ時代をゆく、などの著書の流れを見てみると、自分の志向性を発見し、それを育むことに対する梅田氏の強い興味がわかり、Webはその志向性を育むための先端の機会として捉えられていることが伺えます。
本書では、対談両者それぞれのスタイルの自己形成について、主に梅田氏がWebなどの間接的な関係から、齋藤氏が読書などの自己内対話からのアプローチを述べていて、それぞれのスタイルが感じられて面白いです。「私塾のすすめ」というタイトルも本書の内容をよくまとめていてしっくりします。
本書では他にも齋藤氏の教育観や梅田氏の仕事観が述べられています。Web上での自己形成に限らず、独学に興味のある方はぜひ読んでみてはいかがでしょうか。
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大前流心理経済学
![]() | 大前流心理経済学 貯めるな使え! 大前 研一 講談社 2007-11-09 売り上げランキング : 589 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆ |
政策立案的な視点からの提言であるため、直接役に立てるために読むというよりは、日本経済におけるさまざまな問題点を知ること、本書で立案された政策を通じて著者のユニークな発想を楽しむことが本書を読む醍醐味かと思います。
特に後者について、著者の問題の分析も面白いのですが、問題の解決方法として、少し現実離れしているかもしれませんが、実際に生活者の生活がどう変わるかイメージできるような構想まで提案していることが大前氏の本の面白いところだと思うので、構想力の肥しとして読んでみてはいかがかでしょう。
「要約」
衰退期に入った日本経済的を立て直すために、これまで国は内需拡大のために公的事業や特定の(国際競争力のない)産業に財政出動させたのだが、効果は財政を投入した直後だけしか続かずまったく効果は上がっていない。また経済政策として低金利政策も取っていて、これは低金利にすることで企業が借金がし易くなりその分設備投資や在庫が増えて消費が上向くことを狙ったマクロ経済学の定石なのだが、グローバル化した経済圏では設備投資が国内ではなく海外に向かううことや、優良企業は銀行から借りなくても自前の余剰利益で投資を行えることなどにより効果は薄く、逆に低金利で生活者の利益が小さくなり消費は冷え込む傾向になり効果は上がらなかった。逆に金利を高く設定したアメリカは生活者の資産(ストック)を向上させて消費(フロー)をよくし、また高金利で世界中から投資が集まるためドルが(買われて)インフレに陥らず景気を維持している。
しかし一方で日本人は1500兆円にも上る個人資産がまったく金利のつかない銀行で眠っている。この個人資産の大部分はお年寄りのものである。老後の貯蓄額の大きさは安定を求める日本人特有のものでもあるが、同時に日本人がライフプランを持っていないことの証拠でもある。景気を上向かせるにはこのお年寄りの資産を消費に結びつける必要がある。一般にお年寄りは介護を必要とする程の弱者と考えられているが実際にはそれほど弱る人の割合は高くなく、アクティブな老後の生活を提案することができれば、お年寄りもお金を使うはずである。アメリカにある、お年寄りだけが暮らし、同じ趣味などを持った人同士で集まるコミュニティが多数存在するような町があれば日本のお年よりもアクティブなシニアになることができるはずである。また都内の狭い住宅に多くが住む団塊の世代は老後の移住のニーズが高く、都心から比較的近い関東圏の住みやすい環境を整えれば住宅産業の刺激にもなる。
お年寄りに生活にアクティブになってもらう一方、日本人が資産運用にもっとアクティブであれば資産(ストック)が上昇し、それだけ消費(フロー)が伸び景気も上向くはずである。まったく利子のつかない銀行に自分の資金を預けるのではなく、低利子でお金を借りて高い利子の付く海外で運用すれば低リスクでリターンが得られるのに誰もやろうとしないほど資産運用への意識は低い。しかし日本人の巨大な個人資産をまとめてファンド化して海外での投資に向かわせれば、ファンドとして大きな影響力を行使でき、よりよい投資機会を得やすくなるだろう。国としても資産運用の不得手な国民がスムーズに投資になじむための施策を打つ必要がある。たとえば著名なファンドマネージャーをたくさん雇ってファンドを組んで競争させれば、たとえ契約が高くつくものでも無益な公共事業などよりははるかに低費用で効果的であろう。ちなみに中国などでも国家が運営するファンドを作っているが、こうした国家ファンドにはマルチプルファイナンスの力が政治的な目的に使われる危険性もある。日本も国家ファンドを持つことになってもあくまで収益にこだわるべきである。ひとたび資産運用が大きな利益を生むことがわかれば、日本国民の資産運用意識も一気に変わるのではないだろうか。
ここまでは政策立案の立場から意見を述べたが、このままいけば巨額の財政赤字や年金問題などから国は国民から搾取する側に回る。そうなる前に資産運用の勉強を進め、あるいは若い人は日本の外で活躍できる力を培うべきであろう。またライフプランにも意識的に取り組んで楽しい老後を過ごせるようになってもらいたい。
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愚か者の哲学
![]() | 愚か者の哲学 竹田 青嗣 主婦の友社 2004-08-25 売り上げランキング : 22919 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆☆ |
「要約」
人の歩む人生を子供時代、若者時代、大人時代、の3つに大きく分け、人がそれぞれの時代でぶつかる悩みを取り上げ、なぜ人は苦悩するのかについて、これまで歴代の哲学者が考察してきた知恵をわかりやすく噛み砕いて説明しています。
【子供の哲学】
動物は本能のままに生きますが、人が動物と異なる点は、自我によって生きていることです。自我とは、感覚、感受性、美意識など世界を感じる能力であります。特に人の世界を感じる能力は、人が成長していく上で無意識に身についてゆくルールの束とも表現できます。このルールはまず親から与えられます。子供は好奇心からいたずらをしますが、親はこれを叱るのですが、いつか子供は好奇心や快楽よりも、親から褒められるというエロスを覚えるようになります。これによって自我の基本とも言うべき、人との関係性、他者から評価されることの快楽、自己愛に目覚めていきます。 この価値の自己ルールの束は、大きく、真偽、善悪、美醜についてのルールに分けることができます。 この自己ルールが他者や社会のそれとよく一致する場合は自我が安定していて、うまく人と折り合ってゆくことができます。健全な自我の標識は、
① 自分の真善美のルールを自立的にしっかり作り上げている
② 価値の自己ルールを固定的に考えず他者関係の中でそれを調整してゆくことができる
③ 自己ルールを社会的な能力として活かしていくことができる
の3つが挙げられます。特に①の形成は親子関係による影響が大きいため、ここで折り合いがつかない場合は、両親間でのルールが逆である、親のルールが社会のそれと違う、親のルールが自分の都合により与えられている、などの親子関係のねじれを原因として考えることができます。
【若者の哲学】
親の言うとおりの方法で大きくなっていった子供は、言葉のボキャブラリーがある程度増えると、親のルールから自由に思考するようになります。そして人から認められたいという自我が強烈に膨らむ時期である若者は、その自由から自分を正当化することにより、自分という存在のかけがえを実感することに思考のエネルギーを注ぐようになります。しかしこの自己意識の自由は内面だけの自由であり、現実には親や社会のルールに縛られ、挫折することになるのですが、ヘーゲルはこの挫折に反応する3つの類型を示唆していて、
① 誰からも認められなくても自分は自分である
② どんな人の見方や考え方だって相対的なもので絶対なんてありえない
③ 外から宗教や思想などの強力な世界観を自分の物語とする
といった自己意識の持ち方を挙げています。しかし人は社会で生きていく上では他人からの承認がなければ自然な自己価値を見い出すことはできず、結局大人になり、他者からの承認を得るためのゲームに参加することになります。他者からの承認としては、社会的な成功という尺度と、人間として尊敬されるという尺度の2つがあります。人は大人になるにつれ、必ずしも社会的に成功しなくとも人として承認されれば幸せになれることに気づいていきます。この人間として尊敬される人の中身として、最初に出た「真・善・美」の自己ルールが挙げられます。善悪は他者との関係におけるルールの基準として、美醜は人の感性として、真偽は絶対のルールの無い選択肢に対して自分が選んだことを肯定する感覚へのこだわりをそれぞれ表します。このルールを確立できない人は他者や社会の目が過剰に気になり、自分の判断に不安を覚えるようになります。また他者とのルール関係を経ずにできたも自己ルールは独善的なものに陥ります。このように自分というものは他者とのルールの交流を通じて作り上げていくものです。そして他者とのルールによって影響を受けて自己ルールを変容させるときに、人は生の意欲を欲望を充足させることができるのです。
「ほんとう」
人は限りある生の中で「ほんとう」(の人生)を追い求める生き物でもあります。ハイデカーは人は一度きりの人生でなにがほんとうであるかの配慮こそ、人間にとって本性的であり、挫折からニヒリズムに陥るときに人はその本質を捨て去るのだとしています。ヘーゲルは人がほんとうを追う流れを5つのステップで説明していて、まず自分にとって都合の良い自己ルールで自分の中だけで完結するほんとう、一人よがりのほんとうに挫折したときに生の快楽をただ享受することだけを目指すほんとう、男女が互いのロマンを射影しあうロマンのほんとう、正しい人間として生きることを目指すほんとう、そして最後にその人の人間性の表現(極端な例だと文学や芸術作品)を世に問うことから得られる承認、互いの自由を認め合いながらよいものを目指す承認ゲームの中で得られるほんとうを挙げています。人はほんとうというロマンや目標を失うと生きる意欲を失てしまいます。歳を取るにつれて失いがちなほんとうをうまく生き延びさせることが人間と社会にとって大切なことです。
「恋愛」
恋愛はそれだけで生きる意味を満たしてくれるという不思議なものです(そして自分にとってかけがえの無い人を得られる悦びは、その人を失うことの絶望と裏表一体でもあります)。この恋愛が特別なのは、社会的な役割から離れた自分自身を受け容れてもらえると感じられる幻想、そして社会や人の承認ゲームで得られる至高性は得るために大きな努力が必要で現実的に考えることが難しいのに対し、恋愛ではこの至高性(この恋人を得られれば生の意味そのものをつかめるという直感)を誰でも手に届きそうだと感じさせるところにあります。恋愛から得られるエロスには、人が持つ美しさとロマンの結晶化と、他人から無条件に承認されるという関係性からのエロスの2つからなります。つまり自分にとってもっとも美しく価値があると思う存在から無条件に自分が受け入れてもらえるという悦びです。このうち最初の美しいものに対するエロスは、その人が持つ美とロマンを結晶化したものを恋人に射影したものですが、しばしばそのロマンは現実に打ち砕かれることになります。しかし人はその本質からロマンを追い求める生き物でもありロマンを捨てることはできないのです。
以降、「大人の哲学」で失恋や絶望、ニヒリズムなどについて述べられているので、興味のある方はぜひ読んでみてください。
「感想」
本書を書く上で著者が参考にした哲学者にも生きることに対していろいろな考えを持った人はいると思いますが、著者のスタンスとしては、人間として生きる上で味わう楽しさつらさをすべて含めて生きることの醍醐味とし、人生を肯定するということでは一貫している人生賛歌の本であるように思いました。 人は自分の人生にロマンを抱きつつも挫折の中で大人の知恵としてロマンを現実に適応させて生きていきます。でも、ロマンをもてなくなってしまった大人は救いようの無いバカ、という著者の言葉がありますが、この理想と現実への適応とのバランスは、人が生きていく上で本当に難しい問題だと思います。 本書で述べられている、どんなに挫折を味わってもロマンを追い求めずにはいられない人間性、と、他者との関係の中から自分を作り上げそれに悦びを見い出す人間性、のお互いをカバーし合うことが、本書に込められたよりよく生きるための知恵なのかもしれません。
ちなみに自分が本書を読んだ当時はちょうど失恋中だったのですが、直接自分にとって救いになるような言葉はないものの、本書では(恋愛を含め)人生に強くロマンを抱かずにはおれない人間を肯定しており、ロマンが挫折にぶち当たっても究極的には人との関係性の中でしか人は喜びを得られないという示唆は、ちょっとずるいと思う反面、たとえ報われなくとも人に想われたいという気持ちは肯定されてもいいんだなという安心感を与えてくれたのを覚えています。
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入門! システム思考
![]() | 入門! システム思考 (講談社現代新書 1895) 枝廣 淳子 内藤 耕 講談社 2007-06-21 売り上げランキング : 13634 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆ |
本書で紹介されているシステム思考で用いられるツールは2つあります。
1 ) 時系列変化パターングラフ
2 ) ループ図
1)のマップは自分が改善したいと思う要素やそれに関連すると思われる要素を縦軸に、時系列を横軸にとったグラフで、グラフ中で過去の軌跡、このままだとたどると思われる軌跡、望ましい軌跡をみいだします。 このツールの主な目的としては時間的な中で因果関係を考えるきっかけになることが挙げられ、近視眼的にならないように時間軸は長く取るのがコツだそうです。
次のループ図はシステム思考の基幹ともいえるツールで、それぞれの要素の因果関係をグラフでつないでいくことによって関係性を可視化します。グラフでは要素間の因果関係の他に、その因果関係がプラスに作用するのかマイナスに作用するのかも同時に書き込みます。そしてできあがったループ図からループするパターンを見出します。現在の変えたいと思う状態は何らかの因果関係がループ上に働くことで悪い方向に向うか悪い状態にとどまってしまうと考えるのがシステム思考の特徴でしょう。そして見出したパターンの連鎖を止めるためのポイントを因果関係から見つけて対処することでひとまず解決となりますが、解決は往々にして予想もつかない所から次の問題の発生につながっているため、こうした因果関係を常にチェックすることが大切であるとしています。
そして次に、システム思考から導かれる知恵として、今日の問題は昨日の解決から生まれる、解決のつぼは解決とは一見遠いところにある、問題パターンはあくまで構造が引き起こしている、人や自分を責めない、世の中には副作用はなくあるのは作用だけ、システム思考はコミュニケーションツールでもある、などが紹介されています。他にも、強者はより強くなる、共有地の悲劇、成長の限界、などシステム思考を通じて頻繁に見られる因果関係のパターンも紹介されています。
こうしたシステム思考を実問題に用いる際に大事な点は、システム思考をコミュニケーションに用いることであるとしています。チームで問題に取り組む際にはメンバーと問題点を共有化することがまず解決のための第一歩になるのですが、このように因果関係をグラフで表すことで問題の構造を共有しやすくなります。そして問題を属人的な原因として捉えるのではなく、あくまで構造から起こるものだと考えることを促し、より効率的にメンバーで解決策を練ることに専念することができます。
本書で述べられているシステム思考の要点を自分なりにまとめると、時系列を交えた因果関係のループパターンを見つけ出す、ことに尽きると思うのですが、問題解決のアプローチとして問題をループ(悪循環)に絞っていたのは少し新鮮でした。そして悪循環を見つけるためには物事の因果関係を幅広く把握しないといけないのですが、そのためのシステマテックな方法までは本書では述べられていません。やはり問題を解決するためにはある程度のセンスや努力が必要なのでしょうが、本書は因果関係はいたるところに存在していることに気づかせてくれます。そうした気づきから少しずつ考える癖が生まれてくるのかもしれません。
ただし本書でも少し紹介されていた因果構造の頻出パタンはいろいろとあるそうで、同じ著者がそれらをまとめて書いた「なぜあの人の解決策はいつもうまくいくのか?」という本があるそうなので機会があればそちらも読んでみたいです。
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モバゲータウンがすごい理由
![]() | モバゲータウンがすごい理由 ~オジサンにはわからない、ケータイ・コンテンツ成功の秘けつ~ 石野 純也 毎日コミュニケーションズ 2007-06-19 売り上げランキング : 799 Amazonで詳しく見る by G-Tools ☆☆☆☆ |
まず、近年モバゲーが急激な成功を収めた理由についてですが、パケット料金の定額制が大きな転機になったとしています。利用者が通信料を気にすることなく気楽にサービスに接続できるようになるからです。その結果、音楽などの大容量の通信を必要とするコンテンツが普及し、携帯端末の高機能化と相まってより魅力的なサービスが出現するにいたります。
ここでもうひとつ見逃せない変化として、利用者がウェブ接続に興味を持つにしたがってGoogleやYahooなどの検索システムが導入され、その結果、キャリアが認める公式サイトと、勝手サイトとの違いが薄れてきたことが挙げらます。公式サイトの利点としては、キャリアが携帯からWebへの入り口から辿り着けることが挙げられますが、利用者がそれらを無視していきなり検索エンジンで自分の興味のあるページに飛ぶようになってしまえば、そうした利点は失われてしまうでしょう。もっとも、ケータイWebでのページでは、リンク構造の違いなどPCベースのWebとは違った特徴があり、検索エンジンの精度もそれほどよくはないようです。検索サービスプロバイダもこれからケータイWebの覇権をめぐって激しい競争に突入していくのでしょう。
もうひとつの公式サイトの利点としては、サービスの代金を携帯料金に上乗せして課金を代行してくれることが挙げられます。これは、先にレビューしたiPhoneの本でも言及されていたことですが、依然としてコンテンツプロバイダにとって大きなメリットになっています。 コンテンツプロバイダへの対応は通信キャリア各社で異なっていて、一番積極的に働きかけているのがKDDIで、KDDIが選んだコンテンツプロバイダと協力したり、自分自身でコンテンツ公式サイトを作り、プロバイダとして積極的に売り込んでいく姿勢を見せています。これは利用者にとってキャリアが提供することで安心感の持てるサイトを作っていくことが現在大切であるという考え方に基づいているようです。それとは逆にドコモは、通信キャリアはあくまでコンテンツのプラットフォームを提供する立場なのでその利点を活かして使ってコンテンツに参入するとコンテンツプロバイダを圧迫しまいプロバイダがドコモから離脱してしまう、という考えからコンテンツ業にはあまり積極的ではなく、お財布ケータイなど、コンテンツが普及するための土台作りに専念していくようです。
ここからがモバゲータウンが発展した理由についてなのですが、モバゲータウン利用者が急速に伸びたきっかけとしては無料ゲームサービスが挙げられています。そして他の利用者と対戦したり、ゲーム中にチャットやメールをしたりと、ゲーム機能と他のコミュニティサービスとを利用者がシームレスに使えたことが、サイトの活発化につながっているようです。 サイトが活発化して利用者のコミュニケーションが増えれば、それだけサイト内でのページビューが増え、広告モデルでの収益に貢献することになり、また利用者のアバターなどの購入にもつながっていきます。モバゲータウンでの収益の2割がバナー広告、6割が成果報酬型広告、2割がアバター売り上げ、となっているそうです。現在、モバゲーでは利用者が作った小説や音楽など提供するコミュニティを立ち上げたりと、利用者同士の交流が深まるような仕組みを導入していくようです。
また、筆者が実際にモバゲーを使ってみた体験から、PCでのWebと、ケータイのWebでのコミュニケーションの違いについても言及しています。ケータイでのコミュニケーションの特徴としては、まずアクセス頻度が高いことが挙げられ、日記やコメントのひとつあたりの記事は短くても、ものすごい高頻度で更新されているようです。次に、利用者間の交流が盛んで、まったく知らない人同士でも、会話が浅くおさまり気軽に話せる雰囲気があるようです。ケータイでのSNSコミュニティがあまり荒れないのも、SNSのIDがケータイのメールアドレスと結びついていることによるIDを複数取得したり再取得するコストが大きいことや、SNSでのコミュニティの雰囲気からあまり深い話が書かれないことなどが理由となっているのかもしれません。モバゲーの担当者によると、ケータイのサイト構築には主にインタフェースの面でPCとはかなり違ったスキルがいるようで、PC版とケータイ版両方サイトを持つコンテンツプロバイダも使い分けに工夫をしているようです。
PCWebとケータイWebとのギャップは少しずつ広がっているようですが、あまりケータイに触れたことのない人もまずは実際にケータイのコミュニティに触れて体感してみることを著者は勧めています。
つい2年ほど前にmixiが流行ったと思ったら、もう次のコミュニケーションプラットフォームが台頭する話がでたりと、改めてこの世界の進化の早さを感じます。最近ではケータイからのWebアクセスがPCからのアクセスを抜いたそうですが、自分はPCからはよくWebに接続するものの、ケータイからのWebにはそれほど親しんではいません(未だに第2世代携帯です)。この本で述べられているようなPCをあまり使わずにケータイを使いこなす新しい世代と自分の間には、ひとつ以上上のWebを使わない世代と自分との間と同じかそれ以上のギャップがすでにできつつあるのかもしれないなと思ってしまいます。
問題に思うのは、今回の世代間でギャップは、機器や技術に対する適応というよりも、人とのコミュニケーションに対する姿勢という意味でのギャップの比重がより大きいと思うので、適応するのは難しそうなことでしょうか。 もちろんPCでのWebの意義はこれまでどおり大きくあり続けるでしょうが、技術者の端くれとしてはせめてケータイコンテンツでも技術的な部分はキャッチアップし続けていきたいものです。
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